小さな幸せと小さな不幸

昨日は土曜日、朝から雨が降り続け、書斎の窓から見えるマンションも、少しグレイがかっている。午前は原稿を書きながら、いろいろ雑念が浮かんでくる、台湾からの留学生の論文を早く読みこまないと、英語で質問ができない、時間は取れるだろうか、とか、今書いている原稿は、一般向きでも教員向きでもないので、売れないだろうな、とすれば出版社に済まないな、とか、人は先々のことを勝手に想像して不安になる。午後は、家内と月に一度のお墓参りと買い物に出かけ、最近は必需品になった運動靴を買い、その後スポーツジムに行った。新しい運動靴を買っただけで、子供がおもちゃを買ってもらったような気持になるのは、年齢に関係ないのだろうか。夕食は、テレビニュースを見ながらだったが、菅総理の退陣の余波が、政局に喧騒の渦を巻き起こしている。いつかのブログでも書いたが、自分は菅さんを応援している、実直で着実に仕事をこなしていくタイプに見えるからだが、家内の評価は、華がないから、どうも、という世間と同じだった。菅さんは、職人が技を磨くような仕事ぶりで、それが研究者の生き方に似ているから、どこか親近感を持つのかもしれない。尾身さんも凄い研究者だが、タイプが違うようで、人にはいろいろな仕事の仕方がある。どのような生き方にも、運動靴を買って嬉しい気持ちと、出版しても売れないだろうという不安の気持ちが混じって、小さな幸せと小さな不幸が、さざ波のように、やってくる。今週月曜の新聞に載っていた、ノートから付箋が落ちていくようにあの日のこともいつか忘れる(吉村おもち)の句を思い出した。若い女性の失恋の句のようにも思われるが、若い人も年配者も政治家もサラリーマンも自営業も教員も、そして子供さえも、小さな不幸を抱えている。菅総理の立場とは大きさは違っても、この句のように、誰も人生のノートから一枚一枚はがされていき、楽しい思い出だけが残っていくのではないだろうか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す