好転するとは

昨日は月曜日、週の始めで、早速オンライン会議があった、午後に続けて3つの会議である。午前は自分の仕事をし、午後1時からびっしり会議の連続で、ほっとして、すぐにジョギングに行ったから、頭と身体をフルに使った1日だった。仕事は順調に行っている時は良いが、少し不都合なことが起きると、いろいろ気を遣い、頭をひねり、不足に思い、感情的になったり、ろくなことはないが、昨日は、その不都合なことを乗り越えたような気がした。団体の代表として、少しは会長らしい仕事をしたのか、という思いがあった。気を遣うこと、環境を整備すること、いろいろな関係者の調整をすること、それは、研究とかデータ分析とか原稿執筆とか講演資料の準備などと、使う脳の部位が違うので、逃げたくなる場合もある。しかし、およそ仕事をすれば、大なり小なり問題が起きるので、それに取り組まなければ、仙人のような暮らしになるだろう。世の常は、自分にとって不都合なこと、苦手なことであっても、取り組むことが、人に課せられている。ただ、その途上にいる時は、どうしても逃げたくなったり、相手を非難したり、自分の身を安全な場所に置きたくなったりするが、後になって見れば、解決することが多いのである。昨日の会議で、それを実感した。なんとか、自分なりに、よかれと思ったことを、誠実にこなしてきたではないか、それで結果はどうなっても、自分が責任を取ろうと思えば、事態は好転する。自分も相手を非難したことがあったが、本当に済まなかった、と心から詫びる気持ちになる。そんなことを、これまで何度も経験したが、どんなに歳をとっても、心の修業は続く。その当時は、どうしてこんなに事態が悪くなるのかと、思っていたことが、今思えば、あれで良かった、あのままでいたら今は困った事態になる、助かったのだ、という経験を何度もしている。人の世は、努力すれば、誠実に仕事をすれば、必ず好転する。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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