昨日は月曜日、定例の団体の事務局会議、夕方から研究会で、双方ともオンラインである。事務局会議も、仕事だからいろいろあっても、前向きな発言が多く、自分も思ったことを、誰に遠慮することもなく、素直に言える、それが、嬉しい。研究会も、話が弾み、誰でも自由に発言できる、それは、どうしたら現場に役立つか、何を学校にこちらから提供できるか、で全員が一致しているからだろう。研究は、昨日のブログでも書いたが、自分たちの研究レベルを競う目標と、こちらから世の中や学校に提供する目標がある。役に立つこと、提供できること、それは、自分の枠を超え、研究の枠さえ超えた高度な目標なのである。その認識があれば、全員が、ワクワクしながら、義務でも仕事でもなく、全員が同志のような気持になって、取り組むことができる。嬉しい時間で、あっという間に時間が経過する。自分は、立場上、仕切ったり助言をしたり、まとめたりするのだが、歳をとって、それがこの上なく有難いと思うようになった。自分のような、もう引退して末席にも座れない立場なのに、今現役で働き盛りの人たちと一緒に、会議に参加できるだけで有難いのだ、と思うことがある。だから、自分は、会議に臨む時、オンラインで参加者の顔を見る時、そうか、自分ではできない仕事をして、それぞれが精いっぱいの力を出して、教育の役に立ちたいと思っているのだ、と思うと、すべてを受け入れる自分になれる。昨日は、特にそんな気持ちになった。昨日の朝刊に載っていた句、すぐ父の顔に似てくる夏の雲(岡部泉)が浮かんだ。積乱雲の形が、好きだった父親の顔に見える、それは、自分の心の姿の反映である。昨日の自分は、素直な気持ちだったのだろう、すべてが素晴らしく、ただただ感謝した。
