昨日は18日、お盆が過ぎると、何か時間が早く過ぎるような気がする。大雨が降り続く九州地方の皆さんには申し訳ないが、所沢は朝から久しぶりの晴で、青空が見えた。すると、人間は単純なもので、今日は何か良いことがありそうな気がするが、現実はそんなことはない。ただ、昨日のブログで書いたように、雑用やジョギングなどで気が付くことがある。それは、海底から水面に浮かび上がってくるような感じで、無意識から意識化される状態、心理学では、暗黙知から形式知へ、の概念に近い。そのアイデアがあって、昨日の午前中は予定を変更して、その資料作成に取りかかった。そうか、やはり思った通りだ、構造がはっきりした、と自己満足した。それは、どうも気になっていることが潜在的にあって、ジョギングをしていても、駅の階段を上っていても、床に入っていても、脳のどこかが考えているようで、ふとそれが顔を出す様子に似ている。ただ、そんな大した内容ではなく、些細なことなので、誰でも経験しているだろう。そうか、確かに今日は良いことがあった、と思った、が、午後は予定にしたがって、メールをチェックし、用事を済ませたが、午前とは少しニュアンスが違う、メールでは小さな揉め事が書かれていて、なんとかしてほしい、とか、予定していたイベントがキャンセルになったとか、買い物では品物が少し気に入らなかったとか、夕方の床屋では、いつもと違う髪型になったとか、ほんの些細なことだが、自己不満足とでも言いたいことが起きた。たぶん、これが世の常なのだろう、17日の朝刊に、こんな句が載っていた。鮎のわた苦きがよしと食ひてをり苦きこそよし味ふかければ(井原茂明)。その通り、マスはすべてが平凡な味だが、鮎は、あの苦さが味を深くしているので、高級な川魚なのだ、とすれば、多少の苦さがあるほうが、生き方を豊かにしているのか、と思ったら、何か心が軽くなり嬉しくなった。
