昨日はオンライン会議もあったが、特に記述するほどの印象は無く、淡々と進んだ。その間、いろいろな仕事が入ってくる。締め切りがあるので、手帳とToDoリストにメモして、忘れないように処理している。例えば、昨日原稿を書いた、自分では、この短時間によく書けたと思った、そこが落とし穴で、何度も経験しているので、紙に印刷して読み直すが、それでも見落としがあり、これで完璧と思ったら、今朝の寝床で修正を思い出したから、人の思い込みは根深い。論文などもその通りで、これで完璧だと思って投稿するが、条件付きの査読結果を受けとり、その意見に従って修正をするが、これは、人生の修行かもしれない、と思うことがある。考え方の違いであるが、自分を納得させるために時間がかかる、そして、じっくり考えて、査読者はこのように考えているのか、このように捉えているのか、と相手の土俵の中で考えないと、自分の世界だけでは納得できない。査読者が基本的に勘違いしている場合は、きちんと説明するが、それ以外は、すべて受け入れると、自分に言い聞かせている。それでいいのだ。人は、それぞれ違う。違う見方や考え方があること、それは、相手の土俵に自分の足を入れないと、分からない。先般読んだ専門書に、自分のことは分からない、自分で自分を見ることはできない、鏡か写真かビデオか、他を通してしか見ることはできない、と書かれていたが、ということは、ほとんどが思い込みなのだ。自分の思い込みを、鏡やカメラや他人を通して見ると、こう見えるのだ、と見させてくれる、と思えば、自分で直すしかない。論文の査読とは、自分を見る鏡かもしれない。自分では綺麗な服で着飾ったように思っているが、他人から見ると、薄汚れた服で、醜い姿に映っているかもしれない。自分で、自分を変えるしか方法はない。昨日の夕方、菅総理の記者会見の様子を、テレビで見た。今、苦渋の選択をしていて、総理という立場上、自分の考えも修正しながら、仕事をしているのだろう。立場は違うが、よく分かる。
