能力の低下とは

昨日も忙しく、1つの電話打ち合わせ、2つのオンライン会議、そして夕方、床屋に行った。自分は、スケジュールを手帳に書いているが、どうも予定通り行っていない、というのは、会議などは手帳で分かるが、そのためには下調べ、調査、準備などが必要だが、その予定は書いていないで、頭の中でなんとなく処理している。それが、どうも余裕がなくなって、数日後に原稿を送る、数日後に講演する、など、どうしても1週間は準備に時間が必要なのだが、その調整期間が、予定されていないようで、焦って処理することが、何回か起きている。ということは、スケジュール能力、あることをするには、その前にどの位の期間が必要か、を見積もる能力が低下したのか、と思うが、どうも見落としや勘違いなどもあるようだ。準備をしていても、別の用事が入ってくる、文献も読みたい、とか読まないと、話もできず原稿も書けない、となると、時間を見積もる能力が必要になるが、やはり低下しはじめたのか、と嘆く。どこか、寂しい気持ちになるのは、人情だろう。在宅勤務になって、秘書的な人が実質的にいなくなり、自分ですべて処理するようになるので、時間の使い方が異なってきた、と同時に、脳を使う部位も、多岐にわたってきたのかもしれない。得意なことだけでなく、苦手なことも、時には、小言のようなことも、言わなければならない。そして、自分の能力の低下を嘆くこともある。が、それでいいのかもしれない、人はいつまでもバラのように華やかに咲き続けるのではなく、アジサイのように淡く咲くのが今の自分の生き方で、それを認めることが、生きていく杖になる。小雨に煙るアジサイは現実の花というよりも残像ではないか、と、以前のブログで書いた。今は、そんな気がする。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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