昨日は何があったのだろうか、ふと思う。小雨が降って、少し肌寒い日中で、三寒四温と言う通りだが、手帳にしたがって、夕方は散髪に行った。自分以外のお客はなく、どことなく寂しげな様子だが、聞けば、新型コロナの影響で、年配者の客が少ないと言う。外出しないと、身綺麗にする気持ちが起きず、家に巣ごもり状態になるので、そのまま惰性で過ごしてしまい、テレビの番人になっているらしい。床屋は、江戸の昔から、市井の人の溜まり場であり、井戸端会議の場所である。心理学では、外的動機付けより内的動機付けのほうが、大切だと、多くのデータで証明しているが、日常生活感覚としては、外的のほうが優先する。外出しなくてよい、自粛せよ、と言われて、身だしなみも髭剃りも面倒になってくるのが人情であって、年配者を責めることはできない。多くの人々が、蔓延防止区域や緊急事態宣言の自治体では、人としてのあるべき姿を否定されているが、この後遺症は、その後の人生に大きく残るのではないか。しかし、一昨日の学校評議委員会で参観したように、学校でも、密を避け、マスクをしたまま合唱をし、マスクをしたまま運動をし、黙って給食を食べ、という異常な生活が続いている。学校は素晴らしいと思ったのは、その異常さに負けず、前に進んでいこうとする姿であり、惰性に流されない、という姿勢にある。廊下の張り紙に、後数日で、中間試験があり、県の学力調査試験があり、と掲示されている。これなのだ、外的な要請によって、頑張ろう、という気持ちが起きて、努力し、やっていく内に、何か面白くなってくる、外的から内的な動機付けに転換するのが、現実の姿である。自分もまったく同じで、研究指定校での研修がある、資料を用意しなければならない、資料を集めている内に、脳が刺激されて、他の資料を見る、面白そうだ、と思っていると、アッと言う間に時間が過ぎてしまう。惰性で生きることはない、だから月に1度は、散髪に行って、研修会でも見苦しくならないように、と内的な動機付けが出てくる。外的動機付けも素晴らしい。自分を高めるきっかけなのだ。
