昨日は予定されていた講演がコロナの関係でキャンセルになったので、時間が空いた。審査系の仕事と、文献の整理をしたのだが、文献を読むと、引き込まれてしまう。審査の目と、文献調べの目が、違うからだろう。審査の目は、何か上から目線というと、偉そうで印象は良くないが、審査基準があるので、どうしても良し悪しの基準で判断するが、文献読みの時は、自分の知りたい問いがあって、そこに投影して判断するので、学ぶとか、何か参考にならないか、という下から目線で読むような気がする。すると、アッと気付くこともあって、この著者は凄い、と感じることが多い。つまり、目線によって、気付きが違うのである。それは、自分の脳が、知識を付加して、形作る過程でもある。読解力の高い人は、知識を関連づけようとする、予測して読む、意図して読むなどを、実証的に示している文献があって、ハッとした。残念ながら、詳細データはなく、概要だけの研究発表資料だったのだが、本質をついている。自分の分野では、優れた研究は、自分の生活や学習や授業に照らし合わせて、納得することが多く、そうでない研究や知見は、どこか違和感があって、受け入れにくい。そこが、自然科学との違いである、相対性理論などは、常識とかけ離れていて、しかも真理として実証されているので、誰もが驚愕するのだが、教育は、そうではなく、生活や学びや子供の行動に潜む、学び方、育て方、関わり方についての研究や実践なので、主役は、育てる母親や指導する先生、つまり実際に子供と接している人であろう。だから、自分などは、その脇役で、指導に必要な材料や、参考になる視点を提供していることに過ぎない。あるいは、指導する先生と共に、学ぶことになる。こんなことも最近になって分かった研究で、デザイン研究と呼ばれる方法だが、学習科学は、そのことを述べている。
