昨日は、久し振りに都心の事務所に行った。新しいパソコンの設定や事務局会議、来客があって打ち合わせをした。面白かったのは、来客の打ち合わせだが、大学の研究室で研究打ち合わせをするような雰囲気だった。新しい情報や知見があると、何か目が輝くような気がして、知的興奮とはよく言ったもので、文字通り脳が活性化していることが実感できる。歳をとると、確かに物忘れが多くなって、人の名前、特にタレント系などは決して覚えられないし、すぐに忘れてしまう。どこか古い脳細胞が捨てられていく感じがする。しかし、知的興奮とは、新しい脳細胞が生まれてきて、それが今までの脳細胞に付加されるイメージである。知識が膨らむような感じで、満足感とか充実感とか、脳全体が包まれるような感じで、知識という栄養素を与えたようだ。内容を書くのはスペースがないが、AIやビッグデータの教育利用と言えば、分かりやすいだろう。先端の教育研究と言ってよいが、この先端ということが、脳にとって良き栄養剤だろう。古いものに脳は反応しない、ということは、常に新しいことを人は求め続けるのだろうか。昨日のブログで、日本人は老いると自然に戻ると書いたが、あれはどうなのか、と思ったが、正しくは自然体で臨む、とか、自然の流れのままに対応することで、新しさを求めるとは矛盾しないだろう。ということは、死ぬまで追い求めることが人の生き様だとしたら、自然体なのか対決姿勢なのかは別にして、欧米とのメンタル構造の差はないかもしれない。昨日は、事務所に自分宛に3冊の新刊の寄贈があった。1冊は事務所に置き、1冊は自宅に持って帰り、1冊は注文しようと思った。どうも注文しないと読まないような気がしたからだが、何か無性に勉強したくなった。学習の科学と言うか、理論的な内容が最近は弱くなったと感じているからである。研究とか学びに年齢は関係ないというのは、確かにその通りである。自分が尊敬する坂元先生のような偉大な先生は、最後の最後まで、ベットで原稿を書き論文を書いていたと聞いて、まさかと思ったが、その通りかもしれない、それが生きることの証だからであろう。
