他人の働き

昨日は、久しぶりに都心に出かけた。歯科医院と所属団体の事務所と新宿の事務所に行って、会議や用事を済ませた。歯科医院は、コロナ禍以前から通っているので、3ヵ月に1回、治療というか歯の掃除をしてもらっているが、少し歯茎が弱っているようで、直してもらった。所属の事務所も歯科医院も溜池山王にあって、徒歩で行って会議に参加する。会議が面白い、というとニュアンスが伝わりにくいが、知的な興味と事業的な面白さがあって、対話に惹かれるのである。対話と書いたが、会議と言うより自分の感覚では対話に近い。なんとなく大学の研究室で議論する光景に似ていて、会議ではなく、追求、探求、解決案の模索、のような感じがする。そこには、メンバーに共通する基盤が必要で、会議がちぐはぐになったり、すれ違ったり、鋭く対立したりする時は、お互いのスキームが異なっている場合である。自分は、この会議や事務所や雰囲気が好きで、単純には居心地が良い。それは、自分がどこかスタッフを尊敬しているからかもしれない。誰もが、自分にできないものを持っていいる。彼らの知恵やスキルで、この団体が運営されていると思えば、自分の役割は、応援しアドバイスする、セレモニーで挨拶する程度である。新宿の別の事務所に行って、机の片付けをして、廃棄する書類や自宅へ郵送してもらう物品を整理して、メモ書きをして依頼した。これも、スタッフのお陰である。ある高校生が、社会科の時間に、自分の身の回りを調べる授業があって、いろいろ調べて分かったことは、いかに他人に助けられて生きているかであった。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、それ以来この高校生は、当たり前が当たり前でない凄いことなのだと思うようになって、成績が急速に向上したと言う。歯の治療はもちろん、団体の事業運営も、書類の郵送も、自分ではできない、専門家やスタッフのお陰、と思うだけで、心が明るくなる。春風に向かって口笛を吹きたくなる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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