昨日はオンライン会議の後、疲れてジョギングに行ったが、コースの途中で出会う爽やかな風や、色とりどりの花を愛でて、疲れが一掃される、良い季節になった。生垣の赤い葉を見ると思わず触れてみたくなり、葉桜になった緑の葉もピンクの花に交じって美しく、赤と白の交じったハナミズキの花に心が安らぎ、赤や黄色や白のチューリップは見事な鮮やかさで目を奪い、菜の花は黄色い花を自由奔放に広げている。気に入った句があると、新聞を切り抜く習慣があるが、こんな句があった。幸せの形いろいろチューリップ(落合葉子)、そうだ、花は幸せの象徴なのか、しかし、その姿はいろいろで、歌謡曲のように、人生いろいろな幸せがあるのだろう、今は自分は幸せか、チューリップの花の色では、と自問すると、白か黄色か、などとつぶやいてみる。菜の花が揺れる私は立ち尽くす(福山理花)、も良い。川辺に咲いている菜の花に、走りながら、思わず見とれるようだ。西の方向に向かうジョギングだが、まだ春休みとみえて、公園では子供たちや高校生もいて、サッカーなどに興じている、若い人は大いに運動すると良い、体を動かし、持っているものを外に思う存分出すと良い、自粛やホームステイよりは、よほど良い、などと思いながら、コースを戻ってくる。感染者数の急増で、気持ちがどこか休まらないが、コロナ禍だけに染まることはない、日常の生活を楽しむ処世術を、庶民は持っている。どんな状況にあっても、なんとか生き抜く力と、ニコニコしながら前向きに進む方が、得だ。仕事の疲れも、春の息吹に触れれば、癒してくれるのは、自然の持つ優しさだろう。河合隼雄さんが言ったように、父性の厳しさと、母性の優しさがあって、人は生きていけるのだろう。仕事と休息の両方が、必要だ。
