昨日は、ここ1週間くらい、前にも書いたが、今個人情報漏洩で騒がれているLINE社が設立したLINEみらい財団の仕事で、資料作りに夢中になっている。この歳になっても、夢中という言葉を使えるのが、嬉しい。内容は省略するが、学習指導要領やカリキュラムマネジメントなどの用語が、与えられているので、およその趣旨は分かるだろう。先のブログでも書いたが、どうも学習指導要領などは、自分の信条やdisplinに合わないのだが、仕方がない。理系の大学から教員養成系の大学に移った時、違和感を感じたのは、この 信条やdisplin の問題であった。教育学部では、学習指導要領はまるで聖書か教育勅語のように、どの教員も学生に教える光景を見て、こんなことは大学ですべきではない、と思った。しかし年月が経った。今、自分は仕事上で、受け入れざるを得ない状況になって、ようやく、清濁併せ呑む、心境になった。いいではないか、教育に関わる人間が、学習指導要領を崇め奉らなくてもよいが、真摯に読み、受け入れるのが、当然だろう。それは妥協ではないか、と思うかもしれないが、妥協とは、自分の信条の1部を変える、減らすという行為だが、そうではない。今の資料作りでは、材料なのである。自分の信条はそのままにして、新しい材料が入ってきて、それを跳ね返すのではなく、受け入れる、新しい食材が入ってきたので、料理法を変えて、別味の料理を作る、という感覚になった。そして、その別味が格別で、これまでの自分の資料とは違う新鮮さが出てきて、資料が輝いてきた。 清濁併せ呑む 、という言葉は嫌いだった、何か、狡猾な感じがして、凛として生きる武士のような清潔さが感じられなかったからである。しかし、老いるということは、減らすことではなく、材料を増やすことだ、と気が付いて、夢中になったのである。老いて減らす人は頑固者になり、増やせる人は豊かになる、とは言いすぎだが、自分は増やせる人を目指したい、それで仕事がうまくいく、夢中になれる。
