学会の研究発表

昨日は、小さな学会の年次大会がオンラインであった。小さくても学会は学会なので、研究発表、基調講演、総会、パネル討論などがあって、それぞれが頑張っていたと思う。大会は、学校では文化祭や体育祭、大きくは甲子園のようなものなので、大小を問わず、これまで蓄積してきたすべてを出そうと思うが、その結果は、三振したりエラーをしたり、そして逆転して応援団からエールを送られたり、大人の甲子園かもしれない。観客は、自分のチームの意識はないので、特にひいきの登壇者はいないので、良い発表には拍手を送り、つまらぬ発表には、そっぽを向く。多くの観客が、面白い発表だったら、満足して帰宅するだろう、大会の成否は、それが最も大きな指標である。さて、どうだったのか、わからないが、一つだけはっきりしていることがある。誰もが、一生懸命だったことである。昔、高校教員だった時、小さな話だが、校内合唱コンクールがあって昼休みにクラスで練習していたが、中にはそっぽを向いたり、どうせ負けるのだから、という態度に腹が立って、大声で怒鳴って叱った。結果はどうでもいいが、そこに向かう努力に価値があるのだ、という信念があったので、体育系のような指導だったが、クラスがまとまるとは、こういうことなのだ。テレビドラマに出てくるような教師像かもしれないが、その通りで、高校でも大学でも企業でも、およそ組織であれば、すべて同じだと思っている。論文も同じで、ブログでも何度も書いたが、出来あがったら、それが最後で何も興味もなく見向きもしたくない、そこに至るまでが楽しいし、そして苦しい。自分もパネルの司会をしたが、臨機応変に、その場の流れを掴んで、参加者の皆さんが満足できるように、それだけに心を配っていると、パネリストの言いたいこと、それを引きだすこと、それが場の中で相互作用して、すべてを出し切るような雰囲気が生まれる。甲子園で投打が噛み合って、何かドラマが生まれるような雰囲気が生まれ、それが観客を魅了する、というと少しオーバだが、発表会とはそのようなものである。準備してきたことを披露することではなく、その場で生み出す、誰も予測できない、それをドラマと呼ぶならその通りだが、そのためには、合唱コンクールのように、一生懸命さが必須条件なのである。自分も、勉強になった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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