昨日は、午後に少し時間が空いて、ふと眠くなった。原因は分かっている。前の晩に酒に弱いくせに、つい飲みすぎて、夜中に目が覚めたせいか、その後の寝つきが良くなかったから、寝不足なのだ、だから気が緩んだのか、いいではないか、と夢見心地だったが、気が付いた。明日の午前にオンライン会議があった、普通はそれでよい、ただ、自分が司会をして仕切らなくてはならない。最後にまとめて、決定しなければならない、少し意見の食い違いがあるかもしれない、と思うと、送られてきた資料を、読んでおく必要がある、と思った。本当は、司会であろうと委員としての参加であろうと、せっかく送られてきた資料、しかも郵送だが、を読まないのは失礼なのだ。しかし、時間をいつも気にする、日頃の悪い癖で、事前よりも、その場で処理し、考える方が多い。午後の暖かい日差しが、2階の書斎の窓から一杯に入ってくると、どことなく眠気を誘うのだが、資料を読んでいく内に、司会用の台本を読んでいく内に、少しずつ、その世界に入っていき、そして、コメントをメモし、疑問点を書き出し、そうか、と面白い内容に蛍光ペンで印をつけている自分に、なっていた。それは、別件で気になっている、というか、昨日のブログで書いたような、GIGAスクール構想に関する多方面の課題を、どう構造化しようか、という疑問に、少し示唆をもらうような気がしたからである。なるほど、このような視点もあるか、というヒントは、子供が学ぶ時や探求する時と同じである。ということは、ヒントはどこにでもある、それを知らないのは、アクセスしないからだ、何故アクセスしないのか、と言えば、眠いから、と言うのは、理由にならない。正しくは、自分が明日司会をして仕切らなくてはならない、という意識だろう。つまり、自分事として物事を捉える、ことになる。単純には、参加だけなら他人事、司会をするなら自分事、になる。学校の子供たちに、自分事にさせるにはどうしたらいいだろうか、と考えると、それは、どの先生も追及している課題であろう。ただ、午後の時間、自分は得をした。
