思い込みとは

昨日は、比較的穏やかな1日で、午後にオンラインセミナーに参加して勉強したが、後は自分の予定にしたがって仕事をした。夜寝る前に、眼鏡のフレームがゆるんで、止めネジが落ちたので、ドライバーで差し込もうとしたが、なかなか入らない。仕方がないので、ピンセットを持ってきて、入れようとしても、どうもうまくいなかい。やはり、自分は手先が不器用なのだ、思ったが、あの小さいネジをそのままにしておくと、無くなってしまうので、なんとかしようと思ったが、どうしようもない。明日は、オンラインが朝からあって、早く起きないと用事が終わらないと思って、ふと気付いた。逆から入れてみようか、と思い、やってみたら、すぐにできた。なんだ、こんなことと思ったのだが、どうして気が付かないのだろうか。読んでいる人には、イメージがわかないと思うが、はずれた眼鏡のフレームのネジは、耳に掛けるものではなく、眼鏡のレンズを固定するものである。普通は、眼鏡を台に置いたら、眼鏡の上の方からネジを入れる、と思うのだが、実際は下からだった、のである。それは、片方のネジを見れば分かる、という単純なことに気が付かなった。つまり、思い込みである。思い込みを外すと、なるほどと納得する。確かに、下からネジを入れると、ネジを入れやすいので、設計者がそのようにしたのであろう。かつて、新聞に紹介されていた、幼児の問いを思い出した、お月様はいくつあるのだろうか、というが、なるほど、そのように幼児には見えるであろう。それが、実は1つだと分かったら、凄い発見になる。大人であっても、思い込み、それは、そのように世界を見ているだけで、実際は違うかもしれない、幼児が考えている月と同じかもしれない。そうか、だから、協同学習で話し合ったり、ネットで調べたりして、他人の知識や知恵を借りるのかと、妙に納得した。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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