昨日は、午前と午後にオンライン会議があったが、午前は一昨日から続いている審査で、午後は別のオンライン会議だった。審査は、重要な仕事なので、事前準備もしっかり行い、緊張しながらも充実した会議だった。少しほっとして午後のオンライン会議に参加したが、正直に言えば、あまり気乗りがしなかった。仕事なので、もちろん参加するが、誰にも経験があるように、やる気のある仕事とそうでない仕事、それは勉強でも研究でも会合でも懇親会でも、何でもあるだろう。自分の場合は、その後がいけない、あの時、こう言えば良かった、こうすれば良かった、など後悔することが多いのである。家内に、あんたは、硬い、そして反省病だ、とよく言われる。夕食時やその後の時間で、少し浮かない顔をして、話すことがあるからだ。こうすれば良かった、など後悔しても意味がないことは、頭の中では分かっている、分かっていても、性分と言うか、習慣と言うか、いつもその傾向が出てくる。このブログでも紹介したが、テレビで、コロナ禍の間は、我慢しましょう、などの言葉を聞くと、何か気持ちが暗くなるが、それと同じだろう。その点、子供は屈託がなく、コロナ禍であっても、登下校する様子は、マスク越しに話をし、はしゃぎ、嬉しそうである。子供のようになりたい、と思っていたら、大人でも、そのような人がいることに気が付いた。自分の知人の大学教員であるが、自由自在に生きて、コロナ禍なので、南の島に別荘を所有したり、羨ましいような生き方をしている。海に潜って魚と戯れたり、浜辺で料理をしたり、夢のようだと思うが、現実に実行している人がいる。このご時世に、世間から非難を浴びるではないか、と自分などは思うが、知人は、そうではない。自分は、その人といろいろ仕事をしたことがあるので分かるのだが、自由奔放、本当にそんなことができるのか、と思うことを、次々と実行していき、しかも生活は豊かで、子や孫に恵まれた家庭で、この人に苦労とか気兼ねとかいう言葉はないのか、と思うことがある。そうだ、自分も、硬い、反省病、という呪縛から少しづつ離れよう、そう簡単に性格は変わらないだろうが、いいではないか、何も気兼ねや遠慮はいらない、もっと自由に生きよう、と思うだけで、嬉しい気持ちになる。
