昨日は、自宅近くのかかり付けの医院に行った。土日と寒い雨が降って月曜日にくしゃみが連発したので、風邪を引いたのかと思ったら、家内が、即座にそれは花粉症だと言って、もう花粉の季節になったのかと思い、薬をもらうのは早い方が良い、と言われて、昨日の朝に行った。病気音痴の自分なので、風邪と花粉症の区別もできないが、家内は、病気の症状があればすぐに調べる習慣があるせいか、子供を育てた経験があるからか、病気の診断は的確のようで、自分も言うことを聞いている。医院というところはすぐに混むので、最初に診察してもらって薬をもらう方が得策だと思い、9時からの開院前に着いた。血圧などの常備的な薬ももらったが、30分くらいで終わったので有難かった。家内も一緒に行って、やはり薬をもらってきたが、医者が、コロナもワクチンができて、一般の人が使用する頃には、かなり収まっていると言うので、家内も安心したらしい。なるほど、専門の医者が言うことは、素人が同じことを言っても、信用度が違う。専門とは、そのようなことだろう。専門家の話は、データや証拠に裏付けられているが、素人は感想でしか過ぎない。医者は、いろいろなデータで言ったらしいが、詳細は分からない。この医院では、自分で血圧を測定してデータを渡すのだが、少し高い数値だったので、2度測定して数値の良い方を出したら、医者が2枚を提出しなさい、数値は正直だから、と言われて、いたずらが見つかって叱られた子供のように、ポケットから2枚目のデータを渡した覚えがある。診察室の隣が、血圧計がある部屋なので測定音が聞こえるらしく、赤面の至り、とはこのことで、今でも思い出したくない。だから、医者は科学者なのである。人間と違って、データは嘘はつかない、すべて証拠になる、という信念があるのだろう。教育は、そこがあいまいで、データの裏付けがなくても、よくできました、と誉めることが多いようだ。ただ、ここからが自分の言いたいことなのだが、誉めなくてもいいが、安心させることが大切ではないだろうか。家内が、これで安心した、と言ったのは意味がある。データが悪くても、処方をすればなんとかなる、という安心感があれば、治療に専念できるし、前に進むことができる。データに裏付けられ、どうしたらいいかの処方をして、安心させることが医者の役割だと思ったら、それは、そのまま教師の役割でもある。
