ジョギングと優しさ

昨日は平日なので、いくつかの仕事がオンラインであったが、何でも都合の良いことと悪いことが起きる。昨日も一昨日も、小さなことだが、こうしておけば良かった、あの時こう言えば良かった、と後で悔やむことがある。よく家内に、あんたは、不安病か後悔病だ、と言われるが、他人からはそう思われてはいないようだが、仕事をしている人は、外と家の中では違うかもしれない。コロナ禍になって、男も家の中に入ると、夫婦が同じ屋根の下で、仕事も食事もすべて同じになれば、常識的に考えて、いざこざが起きやすいだろう。コロナ離婚やコロナうつ病やコロナ自殺が増えていると、新聞で報道している。自分はそうではなく、むしろ自宅のほうが仕事がやりやすいのは、今の自分の職業は、と聞かれたり書類に書くときは、団体役員と答えるが、本心は、自由業だと思っているからである。原稿を書いたり、出版したり、講演したり、審査したり、会議に出たり、などと書くと、どことなく気楽な職業に聞こえ、実際にそれが長年の憧れでもあった。組織に属さないで、自由に発言し、自由に文章を書き、という縛られない職業、たぶん、それは多くの人の理想かもしれない。そのためには、書斎があって、自分の好きな場所で、自然豊かな環境などが必要であるが、オンラインで仕事ができる現在においては、自分の知人も、自宅の他に、リラックスできる温泉場とかリゾート地とか暖かい島とかに部屋を借りたり、都会派の人はホテルを借りたりする生活をするようになった。気持ちは、分かる。自分は、所沢市が好きで、自宅で満足し、書斎の仕事場が自分に合っているので、他に行くつもりはないが、自由業のような仕事でも、都合の良いことと悪いことが起きて、それにどう対応するかが課題なのである。その1つが、自然環境であったり、リラックスできるリゾート地であったりするのであろう。昨日の夕方、西方面にジョギングをしたが、犬の散歩をする人、子供の遊ぶ幼稚園、赤ちゃん連れの母親、下校する中学生や高校生、落ち葉で敷き詰められた畑、小さな神社、夕日に映えるオレンジの木、そして走る自分の長い影、を見ると、すべて優しさで包まれていることに気が付いた。そうか、こうして自分は、都合の悪いことも、オブラートで包まれるように、影が薄くなっていくのか、と思った。優しさとは、母親のような存在感で、なんだ、不安になることも後悔することもない、と思わせるのである。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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