昨日は日曜日だが、家内が100円ショップで買い物があるので、付き合った。自宅に小さな菜園はあるが、今は冬の時期なのでほとんど世話はしないが、室内用の花を栽培したいので、鉢、土、支柱などを買った。花も野菜も栽培するのは家内の仕事で、自分は雑草や土の整備の仕事だが、年毎に、自然に触れることに安らぎを覚えてくる。お風呂上りに花を見ると、何でもないことだが、癒される。100円ショップに行くと、どうしてこんなに安くできるのか不思議でならない。100均が、この文字で良いと思うが、できる前はどうだったのか、価格はどう決まるのか、利益はどう生み出しているのか、など考えても、需要と供給のバランスで決まるとしか考えられない、とすれば、よほど大量生産しないと成り立たないだろう。例え、中国産だとしても、原価価格があるだろう、などと考えて、自分のことを振り返った。今、100均で買って一番重宝しているのは、毛糸の手袋である。都内に通勤する時は、なんとなく革の手袋であって、毛糸はどうかと思うが、今はジョギングか散歩か市内を歩く、などで使う、となれば、革の手袋は相応しくない、やはり毛糸だろう。久しく毛糸の手袋は使ったことはなかったが、その温もりは、郷愁をそそる。また、これは安いと思って買ったのは、眼鏡である。少し老眼の度が入った眼鏡で、これが100円かと思うと信じられないが、実は1回使っただけである。実物と価格を比べると、その安さに驚くが、自分には合わなかった。さらに、スマホ用の電源アダプターも、ほとんど役立たなかった。毛糸の手袋は、ほぼ毎日使っているので、その価値は極めて高く、眼鏡や電源アダプターは、まったく価値がない。とすれば、価格と価値は、意味が違うようだ。頻繁に使う、使って役立つのは、価値が高く、何も使わない、使っても役立たないものは、ほとんど価値がない、ということになる。考えてみれば、当然のことで、昨日のブログで書いたように、使わないものはいずれ捨てられる運命になり、使うものはますます存在感を増し、光り輝く相棒になる。使わないものを大事に持っていても仕方がない、と考えると、断捨離は納得がいく。昨日のブログと同じように、頭と体を大いに使おう。
