仕事のスケジュールは、To Do リストに書いて、パソコンのデスクトップに張り付けているが、その日のことは手帳に書いて区別している。原稿締め切りなど手帳に書いて、手帳を見て今日だったのかと思っても、もう遅い。だから、パソコンと手帳の両方を毎日見るようにしているが、ついでに、書斎にある白板にクリアファイルを留めて、月ごとに書類をまとめて、これも毎日確認している。手帳を見ると、昨日は午後にお墓参りと記されているので、自宅から車で15分くらいにある墓地に老夫婦二人で出かけた。毎月のことであるが、楽しみでもあり、閑静で森のような佇まいが気に入っているが、昨日お線香をあげていると、向こう側に晴やかな4人くらいの人達がいて、写真を撮っている。そうだ、今日は成人式だったと思い出した。振袖なのか和服のことはよく知らないが、きれいな娘さんを囲んで、ご両親と祖父母のような人達が、嬉しそうに歓談し、カメラを向けていた。たぶん、ご先祖様に、成長した娘さんの晴れ姿を見せたかったのであろう。せっかくだから、マスクを取ればよいのに、と思ったが、真っ白いマスクを着けたままカメラの前に立っていたが、それもいいだろう、令和3年の成人式は、マスク着きだったと、何年か後で振り返って思い出すだろう。全国各地で、20歳の若者が、成人式を迎える。そして全員が、この墓地に来た娘さんのように、マスクをしているだろう。最も美しく輝く年齢であるが、その顔を隠すかのように、令和3年の20歳のお祝いは、どこか寂しさが漂う。しかし、自分も含めて今の世代は戦争を知らず、飢えを知らず、平和な世の中で生きてきた。コロナ禍くらい、小さな不幸でしかない。ふと、林芙美子の、花の命は短くて苦しきことのみ多かりき、を思い出した。これからが、大切である。自分は、著名な作家と違って、あまり苦しさを感じないようで、面白いことも多かりき、と、成人式を迎えた若者に言いたい。
