無駄なのか意味があるのか

昨日1月3日はまだ松の内だから、といっても、今日から仕事初めになるので、少しお正月の名残を惜しむ日でもある。いつもと同じように午前中に書斎で仕事をして、お昼時間なので少しすいているだろうと期待して、お宮参りをした。例年のような華やかさはないが、やはりお正月で、毎年同じだが、お守りを買った。参拝客が少ないせいか、お守りの値段が例年よりかなり高い。高い分ご利益はあるのか、と不謹慎なことを思ったが、帰宅して、カバンに着けると、そういえば、去年は都心に通勤することが少なかったので、あまりお守りの役を果たしていないことに気が付いて、今年も多分期待しないで良いような気がして、何か無駄ではないのかと、正月から縁起でもないことを考えた。去年で最も使わなかったのは、名刺である。例年では、事務所の女性が、不足してきたら補充してくれたが、その使用枚数が極端に少ないのは、対面でのイベントがほとんど無くなったからであるが、考えてみれば名刺などあまり要らない。ほとんどがメールで連絡するか、ネット検索でなんとかなるからで、挨拶代わりの役目以外はないようだ。そういえば、年賀状も今年は少ないような気がする。ここ数年は300枚程度出しているが、そろそろ年賀状納めをしてもいいかもしれない。現役の頃は600枚程度だったから、今思えば、どこか無駄のような気もする。個人の生き方も世の中の景気と同じように、バブル時期には、早く行け行けと思い、バブルがはじけると、引き締めるような気持になり、コロナ禍に入ると、仕事や生活スタイルが一変して根本的に見直すようになる。通勤するのは意味があったのか、都心に高い家賃を出してオフィスを構えることに意味があったのか、と誰でも思うようになった。そして、自分は何をしてきたのだろうか、長い間税金で生活させてもらって、何かお役に立ったのだろうか、無為徒食の輩になっていないだろうか、などと考えると、お守りや名刺や年賀状や都心の事務所とあまり変わらないような気もする。いや、それぞれに意味はあったのだ、これから新しい意味を見出そう、と考えたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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