昨日は、珍しくオンライン会議などがない日であった。自宅に来客があって、これは私用の打ち合わせであるが、午後の時間をそれに当てたが、のんびりとした気持ちになって、老夫婦で今後のことを話した。外は良い天気で、明るい日差しが居間に入ってきて、サザエさんの家のような、平穏無事な日常の感覚があって、老後の生活とはこのようなものか、と思った。が、12月に入っても、土日にオンラインでの仕事があって、今週もあるが、コロナ禍以降は、平日との区別がなくなった。それで、いいのだ。休日と決めたのは人間であって、コロナは細菌なので、人間の都合は考えないで、感染を広げるという仕事をするのだろう。コロナといえども生物なので、どこか生命を維持する作用が働くが、本能なのか、どう表現したらいいかわからないが、人間で言えば、脳幹のような部位があって、生命維持だけは持っているのではないか、と、まったくの素人の考えであるが。ただ、人間のように脳が発達すると、いろいろな事を脳に閉まって、外に出さないようになる。例えば、顔で笑って心で泣いて、ならいいが、心で怒って、などは、大人のコミュニケーションの難しさを表現している。子供の発達段階によって、外言から内言へと移行する、とビゴツキーが言っている通りであるが、あまり脳に閉まってばかりいると、気付きが劣ってしまうような気がする。気付きは、直感と言ってもよいが、大人は論理的思考の部位だけ発達して、直観力、それはどの部位なのかよく知らないが、まだ発達段階にある幼児や子供の方が、高いような気がする。年齢を経るごとに、忘れることが多くなるのだが、それは、気付きを、ないがしろにしている罰ではないかとも思う。もう紙面が尽きた、また書こう。
