喪中の季節

昨日は3つのオンライン会議があったが、楽しい話題もあれば厳しい話題もある。仕事とはそのようなものだろう。喪中の季節になった。90歳を超える長寿を全うした喪中は、ごく普通になった。昨日もらった中に、幼い孫を亡くした祖父からの喪中があった。短い生を病魔と闘い、力尽きて天に召されたと書かれていたが、祖父としての深い悲しみが伝ってくる。生きていれば、楽しいことも厳しいこともあるだろうが、それができなかった悔しさが、短くても精一杯生きようとし懸命に病気に立ち向かった幼子の、けなげさやいじらしさが、両親と祖父母の心に深く刻まれて、何度も何度も大きな涙を流しただろう。似た年齢の幼子を見れば、瞼が濡れるだろう。その日以来、脳裏から離れることはないだろうが、これから生きていくには、自分たちにある覚悟が求められていると、文面に書かれていた。子や孫に先立たれた悲しみは、他人には分からないが、身内でなくても、子供は、生きているだけで、存在しているだけで、周囲に幸せをもたらす、光り輝く天使である。朝8時前に、近所の小さな橋で、自称子供見守り隊として、登校する小学生を見送っている。1年生は、ランドセルいっぱいに交通安全とひらがなで書いたシールを張っていて、しんがりは高学年だろうが、いつも重そうな荷物を両手に抱えて、列から遅れて歩いている。いつも同じ光景だが、自分には宝石箱を見るような気がする。いつまでも生きていてほしい、と祈りたくなる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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