教育の研究とは

気になっていたが、億劫でそのままにしていた、不要なものの片付けを、昨日ようやくできた。午後のオンラインの会議が終わった後、二人で片づけた。思ったよりも早く簡単にできたが、たぶん、これには理由がある。一つは二人でやったこと、他方は手帳に記入してあること、である。二人ですることは、協同学習だから、1+1=2以上のことができるし、手帳に入れておくことは、計画していることなので、時間割と同じ効果がある。確かに、学習方法で言われていることは、実践するとよく分かる。こんな当たり前のことを、と言われそうだが、頭で分かっていることと、実際に体を動かすことには、大きな差がある。ベストプラクティスとはよく言ったもので、実証して、かつ優れた結果なので、説得力があるのだろう。ということは、大学で教育研究をしている人は、どんなことで教育に役立っているのだろうか、と考えると、自分には忸怩たる思いがある。これが、理工学のようなモノや自然を相手にする研究との違いだろうが、教育は人を相手にするだけに、やってみて、子供の反応をみて、評価が決まる。つまり、実践、プラクティスでしか評価ができないのかもしれない。と思うと、なかなか難しい。何はともあれ、片付けが終わって、ほっとした。幽霊の正体見たり枯れ尾花、の例え通り、やってみる前は、大変だとか逃げたいとか嫌だとか、思うが、実際にやれば、大したことはない、のだ。それは何故か、と考えると、計画とか協同とかの理由になるのだろう。ということは、教育の研究者は、その理由付けを証明することなのか。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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