年をとると、審査系の仕事が多くなるのか、昔から多かったのか、今週も来週もいろいろな審査で、頭を使う。こちらは審査をして、採択と不採択の候補を決めるだけだが、申請者は、その違いが天地のようなギャップになる。自分が審査される側に立った経験では、誰でもそうだが、落ちると、しばらく気力が出てこない。論文の採択でも同じで、修正の通知ですら、その内容を読むのが怖くて、しばらくそのままにして開封しなかった、昔を思い出した。不採択になったら、ひどく落ちこんだ経験から、審査の側では、なるべく採択する方向にしているが、やはり真実の前には逆らえないので、致し方ない。なるべく丁寧な審査をしたいが、時間という絶対的な制約があるので、申し訳ないが、あまり時間がかけられない。それでも、昨日はスムーズに審査が進んだ。審査している内に、効率的で、正確で、しかも妥当な審査ができる方法を思いついて、自分も納得した。方法とは、始めに決めるのではなく、やりながら、対象から教えてくれるような気がする。小中学校の授業でも同じではないか、と思う。子供から、授業の方法を教わり、臨機応変に対応するのだろう。ということは、指導案は計画なので、その通り実行しなくてよいことになる。あまり丁寧な指導案を書くと、むしろそれに縛られて、授業が生きてこないのではないだろうか。こんなことを書くと、専門の先生に叱られそうだが。
