一昨日、知人から電話があった。私の友人であり先輩である方の訃報であった。80歳手前の年とは言え、今日では70歳代では早すぎる。年に1回くらいでしかないが、数か月前に本人から電話があった。至って元気の様子で、コロナ禍が終息したら会おう、と言ったが、それきりになった。そうか、もう君はいないのか、の城山三郎の本を思い出す。人の命は儚い。いろいろな事情があったようで、連絡がすぐにはできないという知人の伝言であった。9月にお墓参りに行くと約束をしたが、彼との出会いを思い出す。自分が初めて就職したのは、高校の教師だった。新設された進学校で、運動場の前が、美しい見晴らしの良い海水浴ができるような砂浜だった。大学院出立ての24歳だった自分は、若かった。彼がクラス担任で私が副担任という関係で、ずっと仲が良かった。たぶん、ウマが合ったのだろう、北海道の自動車旅行や、何かにつけて一緒だった。その高校を離れての人生は違ったが、苦労も多かったようで、生涯独身で過ごしたが、決して愚痴はこぼさなかった。昭和の男だったのだろう、俺が責任を持つ、という気概があって、自分はそこに共鳴した。この暑さの中で、ミンミン蝉が朝からまるで声もかれよとばかり、大声で鳴いている。限りある生きている時間を惜しむかのように、精一杯鳴いている。あれは、何かを訴えているのか、何か言いたいことがあるのか、と思うが、蝉の抜け殻を見ると、すべて出し切って、生を全うしたように見える。たぶん、彼も苦労も多かったと思うが、悔いはなかったのではないか、と思いたい。自分も、命ある限り、論文を読み、原稿を書き、人と話をし、出版もして、生きて生きて生き抜きたい。先輩であり友人である彼のご冥福を祈る。合掌。
