健康維持のために、土日はスポーツジムに通っている。暑い日中に涼しいジムに行って汗を流すと、身も心も軽くなる。ランニングマシーンで軽いジョギングをする時、数メートル離れたテレビを見ることがある。音声はすべて字幕になっているので、ユニバーサルデザインの考えが生かされているのだろう。8月15日なので、沖縄、広島、長崎の人々の辛苦の報道だったが、いつもは心が痛むので目をそらしていたが、マシーンの上では見るしかない。長崎で爆心地から300メートルしか離れていなかったが、防空壕の中にいて奇跡的に助かった女性の証言に、ハッとさせられた。彼女は、戦後に近所の人々の差別が、最もつらかった、だから原爆のことは一切口にしない、と証言した。それほど、日本人は差別をするのか、奇跡的に助かったのなら、良かった、と共に喜ぶのが、日本人ではなかったのか、日本人はそのような卑劣な人種なのかと憮然とした。しかし、コロナ禍の第二波が収まらない現状で、多くの知事は、わが県に来ないでくれ、とテレビで言っている。何を寝言のようなことを言っているのか、地方に行けば、駅前通りでも人影はまばらで、これでも県庁所在地か、と目を疑ったことがある。地方は、もはや人が集まらず、人口減少の一途を辿り、死にかけている。若い人が移住してくれれば、土地も無料にします、と叫んだキャンペーンは、どこに行ったのか、人が集まること、それは人気があること、人気があれば活性化すること、それは人と共に生きることであり、人を排除することではない。コロナ感染よりも、熱中症に注意したほうが、よほど死者数は減るだろう。それは、自分だけの県、自分だけの地域、自分だけの村、が良ければ、他はどうでもよい、という差別でしかない。学校でのいじめが無くならないはずである。トランプのアメリカファーストを批判できない。まして、中国や韓国の反日教育に至っては、相手を憎め、と子供に教えているのだから、どんな大人に育つのだろうか。その予測は、日本の戦前の反米教育、ドイツの反ユダヤ教育の結末は何だったのかという、歴史から学べるはずである。そんなことを思いながら、運動していたら、マシーンの時間が終わった。確かに昨日は、終戦記念日であった。いつまでも、思いやりがあり、人を受け入れ、人と共に喜べる、日本人でありたい。少なくとも、子供たちには、そう伝えたい。
