久しぶりの晴れ間になって、汗ばむ陽気に、無邪気に嬉しくなった。政治家や官僚は、このような外の空気には動かされないような人種なので、どこか遺伝子が違うような気がする。と書きながら、待てよ、と考えた。遺伝子ではなくて、環境なのかもしれない。そういえば、国立大学で大学院生を指導していた頃は、12月30日まで研究室に行き、1月2日は1年の始まりだったから、外から見たらどこかおかしい人種と映るだろう。私立大学に異動してから、朝は5時57分に家を出ていたので、近所の人たちからは、大変な大学だと思われていたかもしれない。慣れれば、それは何でもない、当たり前のことなので、遺伝子説ではなく、環境説に軍配を上げたい。問題は、それが楽しいか、苦痛なのか、面白いのか、仕方がないのか、で大きく分かれるだろう。自分や他人の研究を振り返ると、何が決め手なのかは、面白いかどうかではないか、と思う。面白いという感覚は、何にも勝る魅力のような気がする。お金や名誉などは平凡だがあまり魅力ではなく、面白さには勝てないだろう。楽しいか、と言われれば、趣味やゲームや談笑や、今はできないが、気の合った仲間との飲み会なども、楽しいが、面白いという感覚とは違うような気がする。感じる神経が違うようで、例えば、ずっとやっても飽きないとか、寝ても気になっているが、それは不快ではなく、快適かというとそうでもないので、やはり感じる神経系統が違うのかもしれない。ともかく、人は面白さを追求して一生をすごすと考えたほうが自然である。政治家や官僚や研究者を見ていると、それで十分満足そうな顔をしているので、幸せなのだろう。
