今日は、今朝は、久しぶりに都心に出かける。在宅に慣れると、どうも電車に乗るのが億劫になるが、世の常として仕方がない。ただ、日本人の美徳して培ってきた勤勉さが、自分も欠けてきたような気がする。コロカ禍のせいにするわけではないが、在宅が日常になると生活のパターンが決まるので、その時間割を崩すことが嫌なのであろう。とすれば、勤勉と言うよりも習慣を崩したくないという、単なる惰性でしか過ぎない。家にいるほうが、自分のような仕事には適しているので、特にその傾向が強い。最近読んだ本で、現在社会は多くのモノで満たされ、人の仕事量は減少してくる。例えば、昔1日8時間働く仕事は1日3時間で済む時代が現代だ、という論理だが、どうもその理論通りには現実はいっておらず、現代人も相変わらず1日8時間仕事をしている。しかし、この本の考察は続く。だから、1日5時間は無駄な時間を過ごしているのだと。この考えは、確かに論理的で、現実をよく見ているような気がする。現在社会は、時間が速く進む。ネットで調べれば、昔なら1日かかる調べ物は、1時間で済む。確かに時間を産み出しているので、その余った時間は無駄に過ごしているのかもしれない。ふと思った。自分のような仕事は、無駄な時間でできている。学問とか哲学は、余った時間という意味らしいので。とすれば、無駄な時間も意味があるし、その時間でできる仕事は、面白い。
