緩んだ一日

今日は久しぶりに都内で会議、ある団体の理事会だが、があって出かけた。午後の会議なので、行きは電車が空いて本も読めたが、帰りは立っている人もいるくらいだが、コロナ禍以前ほどではない。乗客全員がマスクをしていることや、肩と肩は両隣と触れているので、多少ぎこちなさが残ることが、コロナ禍の後遺症であろう。しかし、あまり気にするほどでもない。会議といっても、決まった議題を承認するだけで、形式的な儀式が終わって、最後に雑談となった。考えてみれば気楽な会議であり、電車に乗ってと言っても、混んでいるわけでもなく、肩が触れ合うが座席に座れるほどの緩さがある。座席に座れば読みたい本を鞄に入れているので、読むのが習慣だが、今日は居眠りをしていて、駅で止まる度に目が覚めた。気持ちもどこか弛緩しているので、多少コロナ禍で感染数が気になるが、それほど神経質でもない。窓の外は時折小雨が降る曇天だが、はっきりしない。気持ちも、天気も、会議も、電車の混み具合も、すべてがゆるんでいた。こんな日があってもいいだろう。人は、いつも元気とは限らず、いつも失望しているわけでもない。はっきりしない緩んだ1日を過ごすのも、また一興である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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