2020年6月26日読売新聞朝刊の第一面に、自分への取材記事が掲載された。読売提言で識者に聞く、という企画で、自分は教育、オンライン学習のテーマで依頼された。一面は凄いと思ったのは、すぐに目を引くからである。もちろん自分のことだから当たり前であるが、しかし読者によって何を見るかは、本当はわからない。取材を受けて、本当はそんなつもりでは無かったのにと、誰でも思うこともあるだろうが、受け取る人によって、その解釈は異なるので、それは当然である。この取材は、私の意をくんで、よく書かれていると感じた。たぶん、事前に原稿のやりとりがあったからだと思う。日常の会話や会議、テレビ討論などでも、その意味では、発信する側と受け取る側で、真意はどの程度伝わっているのか分からない、と思った方が自然ではないか。会話は時系列的に続くので、今の発言は訂正とか修正など、原稿に赤ペンを入れるようにはできないからである。とすれば、私たちは、たぶんに誤解をしながら会話や会議をしているのかもしれない。そもそも、言葉で自分の意を表現できるかどうかも怪しい。目は口ほどにモノを言い、の例え通り、我々はすべての五感を使わなければ、伝えられないし分からない。すべてを使っても通じるかどうかも、確かではない。と言うことは、コミュニケーションは誤解の上に立ってという前提で対応する必要がある。新聞を見て、そんなつまらぬ連想をした。
