我慢することが、コロナ禍にあるこの時期では、国民の精神的支柱のような役割を果たしている。何かスポーツ根性か、戦時の「欲しがりません、勝つまでは」の標語を思い出させる。戦時のことは知らないが、精神状態では似ているかもしらない。しかし、人はずっと我慢できるものだろうか。禅の修行僧は過酷な修業をするので我慢の達人のような気がするが、文献を読むと、どこかで吹っ切れると言う。我慢という状態から抜け出してもっと自由な心境になるらしい。それは、スポーツでも学習でも仕事でも同じではないだろうか。ジョギングをしていると、始めは苦しくしばらくはその苦しさが続くが、やがて壁を乗り越える時が来て、気持ちが平衡状態に達してそのままゴールにたどり着く。途中で休憩すると、その次の走りがまた苦しくなる、というような経験を誰もしていると思う。仕事でも似た傾向があり、始めは何も分からず、どこから手を付けていいいのか、投げ出したくなる時もあるが、やがてコツを掴む、知らない内に時間が経って成果が見え始めると、充実感があって心が満たされる。自分へのご褒美に、コーヒーの1杯でも飲みたくなるが、そんな経験を誰でもしているだろう。とすれば、コロナ禍の時期を問わず、人は我慢の中で生き、我慢の中で喜びを見出し、スポーツ、勉強、仕事、日常生活のすべてにおいて、見方を変えれば、我慢を楽しんでいるとも思える。どうせコロナ禍の時期を過ごすなら、暗い顔ではなく晴れやかな顔で、楽しみたい。
