感性

今は、火曜日の夕方、いつものブログなら、スポーツジムから帰って、と書くところだが、今日は、先ほどオンライン会議が終わったばかりなので、パソコンの画面から離れていない。1階にお茶を飲みに行って、もう時間がない、などと言いながら、戻ってきた。本当に時間がないから、このブログは短いかもしれない。さて何を書くのか、何を報告するのか、公開日記とは言え、何か感じたことを書かないと、読んでいただける人に、何も響かないから、今日は何だったか、と振り返る。出来事ではなく、感じたこと、気付いたことで、ある。今日は素晴らしい晴天で、心もウキウキするが、日曜と月曜の午前中は雨が降った、北陸では、大地震に重なって、大雨で土砂災害になったから、この世の中は、どこか、恵みと災害の両方があるらしい。恵みと書いたのは、理由がある。小さな庭だが、芝を植えた、歳を取ってくると、菜園もままならず、土を耕す、雑草取り、肥料をまくなど、いろいろな仕事があって、収穫を楽しみにしていたら、今年は玉ねぎが全滅で、1つも実らなかった。野菜作りは、家内の役割で、自分はもっぱら雑草係なのだが、それも一苦労なので、面倒だから、畑を止めて芝にしようと決めた、それが昨年の暮れだった。芝の植え時期ではないから、春まで待った、が、日本芝ではなく、西洋芝にした。種芝で、昔、それで失敗した苦い経験があるが、仕方がない、素人には、きれいな日本芝を維持するのは、並大抵ではない、職人さんに入ってもらわないと、無理なのである。ただ、今生えている芝は、目の細かい自然の芝で、いつの間にか繁殖したので、気に入っているが、この品種はない。仕方なく、西洋芝を蒔いたのが2週間前で、早く芽がでないか、と心待ちにしていたが、2日間の雨降りで、元気が出たのか、若草色の細い葉っぱが、出てきた。優しい、みずみずしい赤ちゃんのようで、見るだけで、可愛くなる。北陸で大地震と大雨で、我が家を失った人もいるのに、申し訳ないと思いながら、雨の恵みと感謝し、昨日の午後と今日の快晴の天気に感謝し、ただ、それは自分だけの勝手な、独りよがりな喜びでしか過ぎない。だが待てよ、独りよがりなのか、テレビが、我が家が壊れてしまった老人を映し出している、老人は言う、ボランティアの人達のお陰で、また住めるようになった、と嬉しそうな表情をした。長年住み慣れた我が家は、これ以上に住みやすい家はないのだ、ということは、住みやすいとか、満足するとは、どういうことなのだろう。近所に出たら、スーパーに買い物に行く、親子連れ、まだ幼児だが、しっかりと母親の手を握っている。その子にとって、これ以上の素晴らしい手はないのだ。子供は、どんな時でも、物事を幸せにする天才的な知恵を持っている。あのウクライナの地下で生活していた、大勢の人々が苦渋を噛みしめていた中で、子供が嬉しそうに、地下につながる長い斜面を滑り台にして、遊んでいた。それは、哲学者でも思いつかないような、素晴らしい処世術だろう。新聞に、クラッカーを放つ仕草で傘をさす子らに拍手で雨が応える(あきやま)の句があった。何も説明は要しないだろう、ワンタッチ傘で、パッと開いた傘に、雨粒が、まるで拍手をするように、パチパチと鳴っている、なるほど、そういう見方もあるのか、素晴らしいではないか、子供の嬉しそうな顔が見えるようだ。それを感じ取った作者の感性にも、拍手を送りたい。自分も子供のような感性を持ちたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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