始まりと終わり

今日は、4月11日火曜日で、今は、夕方の時刻、2階の書斎から見える空は、明るく、昼間の残照が美しい。今日も、そろそろ終わりに近づいている。土日の他に1日を加えて、週3回のスポーツジムを自分に課しているが、今日は、予定通りに、こなしたから、有難い。運動することは、仕事や研究以上に大切なことは言うまでもなく、身体に異変が起きたら、すべてがストップする。それでも、杖を突きながら、車椅子に乗りながら、ベットに寄りかかりながら、仕事をすることはできるが、厳しい制約を受けることは言うまでもない。健康が、すべてを掌握している。だから、スポーツジムに行く、ジョギングをするなど、意識して、運動を心掛けているが、そればかりではなく、ドーパミンのような幸福感を促す分泌物が出るから、物事を前向きに捉えるようになるので、快適な精神状態になるようで、経験的にも納得する。いづれにしても、横にコーヒーを、CDプレーヤーで音楽をかけて、しかも、今流れている曲は「ゆりかごの歌」だから、浮世の憂さは、すべて流れ去っている。ただ、昨日は忙しかった。昨日は、10日月曜日で、新年度の実質的な仕事初めだった。先週は、観光旅行に出かけて、リフレッシュしたので、いよいよ今週から、仕事の予定が手帳を埋めている。昨日は、自分の所属する団体事務所のある都内、溜池山王に出かけ、虎ノ門と神保町にも出かけ、また戻って、という忙しさで、うどんの昼食が、午後4時だった。しかも、帰りの電車が、事故点検の関係で、20分も遅れて、満席だったので、50分以上も立ちっぱなしで、足が棒のように固くなった。もう、電車通勤は嫌だ、と思ったが、コロナ禍以前は、ほぼ毎日通勤していたので、信じられない。今となっては、元に戻れない、とは言うものの、昨日から、心機一転して、また頑張らなければと思いながら、世の中は、日々動いているから、新しい問題が出てきて、対面でないと無理なこともあるから、事務所に行くと、掃除ロボットが、スイッチボタンを入れられたかのように、頭が回転し始め、早口になり、事務所モードになるから、人間の環境適応能力は、優れている。こうして、毎日が過ぎていくのか、昨日の新聞に、こんな句があった。始まりも終わりも東京駅の春(今泉準一)は、地方から東京に就職した人か、大学に入学した人か、東京駅が、出発であり終わりでもある、と言われてみれば、なるほどと同感する。始まりは、よしやるぞ、と心を燃やし、終わりの時は、現実は厳しいと嘆くのか、故郷に帰って、束の間の休息を取ったら、また東京駅に戻って、頑張るのだ、と思うのか、東京駅は、この詠み手の、心の拠り所であり、嬉しい時も悲しい時も、羽を広げる時も閉じる時も、黙って見てくれる故郷かもしれない。春とは、始まりと終わりの切り替えスイッチの季節である。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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