今は、3月17日金曜日の夕方、いつもは、明日土曜日にブログを書くのだが、あいにくと、夕方は都心で会合があって、正確には懇親会があって、時間がなく、今書いている。有難いことに、前のオンライン会議が、早めに終わった、文字通りラッキーで、時間が取れた。今日も、今週もいろいろあった、また、明日もある。先のオンライン会議の前に、自分の所属する団体の理事会があって、これは、代表をしている関係で、最重要な会議だが、楽しく終わった。普通、総会とか理事会などというと、滞りなくとか、無事にとか、シャンシャンと異議なく終わることが、良しとされているようだが、それでは、詰まらない。参加した理事全員が、発言することを、自分は信条としている。何も発言しないで、良かったなどは、本来はないはずで、何か意見を言うから、参加する意味がある。そうでなければ、代理の人形かロボットでも用は足せる。という訳で、今回の理事会も、全員が発言出来て良かった。無難に終わるのは、消極的すぎて、好きではない、もちろん波乱が起きることを望んでいるわけではないが、議論することが、大切なのだ。大学関係者は、比較的、よく発言する、企業関係者は、遠慮する傾向があるのは、背負っている文化の違いだろう。大学の研究は、相手の地位などは全く関係なく、真理の追究なので、遠慮する意味はないのだ。こうして、今日も暮れていく、今日はお昼に数分間の散歩をしただけで、運動もする時間がなかった。今日中に送信する原稿があったから、午前中にそれに取り組んで、どうにかお昼に出版社に送れたので、ほっとした。すると、コーヒーでも飲みたくなのは、どこか、気が和らいで、その心情に浸りたいからだろう。原稿を書いたり、校正をしたり、資料を作ったりしている時、そして、一息つく時、それは自分の書斎で過ごす時間なのだが、その時間が好きだ。自分は、それを作品作りと言っているが、ならばその人は、作者とか作家と呼ぶほうが、相応しい。モノを作る時、モノだけでなく、絵でも、彫刻でも、木工でも、論文でも、発表資料でも、何らかの作品を作る時、誰でもワクワクするだろう。新聞に、春近しドア全開の画材店(高橋まさお)の句があった。あまり画材店などに入ったことはないが、絵を描く時の画材を売っている店なのか、ほとんどは、駅前の大きな店舗やデパートなどにあるだろう、絵の具などを見ると、子供の頃を思い出す。天気の良い日に、校庭か近くの風景の良い場所で、写生する時間があった。確かに、冬の寒い日では、写生はやりにくく、暖かい春がやってこないと、絵を画く気持ちにならないだろう。そういう季節がやってきたのか、理事会で発言を促すのも、今日、原稿を送ったのも、考えてみれば、自分の作品つくりなのだ。縮こまっていては、作品はできない、発言する気も起きない、春の暖かさが、心のコートを外してくれるのか、だから、人は活動したくなるのか。良い季節になった。