面白いこと

今は、火曜日の夕方、ブログを書く予定日である。午前中は、市内の学校訪問の用事があり、午後はオンライン会議と電話があって、仕事を終了した後、なるべく運動をして健康維持を図りたいので、スポーツジムに行ったが、どうも時間が取れず、プールには入れなかった。いろいろな用事が重なって、スポーツジムで過ごしたのは、1時間たらず、ブログを書く日なので、それも気になって、帰宅した。明日には延ばせない、夕方に自分がホストのオンラインセミナーがあって、重要な仕事が入っているので、どうしても今日中なのだ。たかが、ブログと言っても、一度さぼったら、後が怖い、まあ、いいかという、悪魔の囁きが聞こえてきて、ついに、止めてしまう、という事態になる。自分のような年齢では、どうしても、昔かたぎの考え方が支配するので、子供たちや孫たちには、煙たがられるだろう。実際、そのようで、かつて指導した学生達や、今所属している団体でも、変わらないようで、かなり厳しめの言い方をしているかもしれない。孫には優しい好々爺でいたい、という気持ちはあるが、生まれついた性分なのか、頑張れ、とか、しっかりしろ、とか、努力しろ、とか、どうも、優しい言葉をかけていないようだ。仕方がない、許してほしい、のだが、毎日メールを読んだり、電話がかかってくる内容は、優しいばかりではいられない用事がほとんどで、世間とは、こんなふうに、仕事をするのか、と思う。午前中の学校は、まるで違う。NHKの方に聞いたことがあるが、鬼の報道、華の芸能、仏の教育、と言うそうで、教育の世界は、優しさが代名詞なのだ。だから、学校に行くと、心が救われるような気がして、小学生低学年の子供たちを見ると、天使に見える。だが、世間では、空気も言葉も目つきも違う、明日もあまり出たくない会議も出るし、言いたくない発言もするし、嫌われる役も引き受けるし、まあ、そんなものだ。しかし、自分は、何故仕事を続けているのだろうか、自問すると、面白いこともあるよ、お金じゃないよ、山登りみたいなものだよ、と自答したくなる。サラリーマンが、かつて暖簾で一杯、という光景があったが、あれは、愚痴もあるかもしれないが、面白いこともあるよ、と言っているように思える。新聞に、亡き父のセーター着るや凪(なぎ)の湾(平田雅一)の句があった。どこかの海岸なのか、海の仕事をしていた父親だったのか、セーターを着たら、父親が語りかけてくれたのか、赤ちょうちんで一杯、という訳ではないが、仕事の厳しさと喜びを、親子で語り合いたいのか、男には、どこかそんな瞬間がある。こんなことを書くと、ジェンダーバイアスだと言われそうだが、お許しいただきたい。振り返ってみると、自分は、父親とはそんなに多く話はしなかったが、たぶん、子供には言えないような苦労もしただろう、だが、それでいいのだ、どこの家庭も同じようなものだろう、語らなくても、分かる。こうして、自分も父親の年齢に近づいていく。この世の中は、いろいろあるが、面白いことも、いっぱいあるよ、と、自分の子供たちには、伝えるだろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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