美味しいコーヒー

今は、火曜日の夕方、書斎から見える西空も南空も、まだ明るく、冬の雲一つない青空が、マンションや家々の屋根を覆っている。はて、今日は何をしたのか、そうそう、あれもした、これもした、そして、健康のために、先ほどジョギングをして、1階の居間で、グレープフルーツを食べて、その酸っぱい液体が、乾いた喉に沁みていった。健康は、仕事と同じように、重要なことは言うまでもない。だから、なるべく時間を取って、運動をしている。今日も、いろいろあった、急な用事ができて、市内を出かけたり、その後、オンラインで打ち合わせをしたり、ある雑誌の編集後記を毎号書いているので、それを仕上げたり、手帳に書き込んだ予定にしたがって、それをこなしている。こなすような仕事の他に、講演資料とか原稿作成やデータ分析などがあるが、まとまった資料の場合は、時間がかかるので、荷物を右から左へ移す、という作業ではないので、準備が必要だ。まとまったとは、1時間の講演資料、出版の分担執筆で400字原稿用紙50枚などの場合に相当するが、そのような仕事を抱えているが、すぐには書けない。自分の場合は、ふと、気付くことがあるとメモをし、そのメモが大切で、それにしたがって、目次を作り、目次にしたがって、資料を張り付けるような流れになる。この資料も、手慣れた内容、自分が専門とする内容であれば、時間はかからないが、そうでない内容の場合は、かなりの準備が必要になる。自分の専門と、少し距離があって、どうも苦手な分野だとか、勉強不足だと自覚している内容では、頭髪をむしるような難しさや、自分は何と浅はかなのか、などと思うのだが、実はそのほうが面白い。楽な内容や手慣れた講演や原稿などは、決して面白くない、むしろ、やる気が起きない、という矛盾するようなことが、現実である。1週間位前に送った原稿、それは、オーバーに言えば、寝ても覚めても考える、ような内容で、久し振りの理系の原稿だったせいか、脳の芯まで脳血流が流れていくような感触で、今でも、思い出すと嬉しくなる。今は、貯めた小さなメモがまとまってきた時期で、そろそろ目次を作り、資料を張り付けるか、と思うが、それには、まとまった時間が必要になる。文脈は離れるが、新聞に、こんな句があった。温かいコーヒー飲んで船を待つ雪がひらひら高島渡船(楠井花之)だが、作者は鳴門市と記されていたので、鳴門市高島に渡船があったことを思い出した。昔、何度も鳴門教育大学を訪問したから、あの場所か、と思ったのだが、暖かい鳴門にも雪が降るのか、と感慨を深くした。ここで言いたいことは、よほどコーヒーが美味しかっただろう、ということで、それは、四国には、珍しく雪が降ってきて、それを眺めながら、熱いコーヒーが喉を通る時、冷たい雪が降ったから、その美味しさが倍増したのだ。冷たい雪だったから、温かいコーヒーが美味しい、ジョギングをして疲れた体だったから、酸っぱさが美味しさに変わった、うん、うん、と唸るような難しいテーマだったから、仕上げた時の喜びは、忘れられないものになった、と言えないだろうか。人は、楽なことだけでは、喜びは味わえないものらしい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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