子供から学ぶ

今は、土曜日の夕方、外はまだ明るい、西空が薄く赤みがかっているので、良い天気なのだ。やはり、日が長くなったのだろう、以前は、真っ暗だった空が、まだ明るい。午前中に、予定していた仕事をこなし、原稿も送れたので、良い1日だった。いくつになっても、やるべき仕事をし、予定どおりに事が運べば、今日も良かったと、充実感が身体中に染みわたる。午後に、スポーツジムに行って、汗をかき、プールで汗を流し、帰宅して、どうしても見たい録画したビデオを見終わって、書斎に来たところである。昨日は、都内に用事があって出かけたが、気持ち的には、所沢市内の方が好きで、いろいろな用事も、車で出かけるか、徒歩か、オンラインなので、電車に乗らなくて済むから、落ち着くのだ。昨日の帰りの電車が、人身事故で遅れた、駅のホームと電車の中で、長い時間立っていたから、足が鉛のように重くなった。そんな時、誰でも我が家が恋しくなる、自宅に着くと、文字通りほっとして、暖房の効いた温かい部屋に入ると、本当に極楽のようだと思う。テレビでニュースを見ると、巨大地震とか戦争とか、悲惨な映像ばかりで、特に今時の季節では、暖かい部屋、熱い飲み物、寝袋のような寝具などが、極上の御恵みだと言うが、その通りだ。それを思えば、自分は、なんと贅沢な生活をしているのかと、申し訳なく思う。今日は、特に温かい気温で、春のような陽射しが、1階の居間や2階の書斎に入ってきて、少しばかりうとうとして、瞼が下がってくる。生きていることとは、こういうことなのか、人は、安全に平穏に暮らせる有難さにには、気が付かないようにできていて、寒さとか危険な目に合うなどの、痛みを伴う時だけ、これは困った、なんとかしてくれ、と思うようだ。都合の良いことは当たり前になり、そうでないことだけに気を取られ、不平を言ったり、嘆いたりする。ただ、今日のような暖かい日に出会うと、もう春なのか、と心が弾む。歳を取ってきたら、都合の悪いことだけに気を取られないで、良いことに目を向ければ、毎日が、心楽しく暮らせるだろう、早速実践してみよう。そして、慣れることも、素晴らしい。これも、毎日同じことの繰り返しで、惰性で生きているのか、と不足に思うのではなく、慣れることで、ストレスが無くなり、それが自分の生き方に合ってくるのだ。コロナ禍になって、生活パターンが一変したが、今は、これが一番好きで、この上なく居心地が良い、都心に電車でよく通っていたなと、今では、感心するくらいだから、慣れるとは、素晴らしいことなのだ。新聞に、車椅子慣れきし友の冬帽子(飯島博幸)の句があった。始めは、車椅子に乗ることは、よほど辛かったに違いない、どう動かしていいのか、もどかしさに、いつも不平を言って、投げやりな気持ちにもなっていただろう、しかし、どうだろう、慣れてくると、この寒い季節では、冬帽子をかぶり、足を毛布で覆って寒さを凌いでいる、どこか笑顔の表情さえ見える、としたら、世の辛さを嘆くことはないのだ、ひっとしたら、この車椅子の人は、今は幸せだと感じているかもしれない、人の幸せ度は、外からは測れないのだからと、平凡ながら思う。スポーツジムの帰り道、旧市役所の広場で、大勢の親子連れが、土曜日だからか、遊んでいた。子供は、今がすべてで、この世で一番大切な人は、ママでありパパである。どんなに貧しい家庭であっても、子供にとって両親とは宝であり、自宅とは極上の居場所なのだ、と思えば、大人は、子供から学びたい。広場で遊ぶ子供は、この上なく、幸せそうな声を上げていた。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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