今は、火曜日の夕方、外はもう真っ暗だが、いつもの2階の書斎で、パソコンに向かっている。書斎は、仕事場であり、ここに置いてあるものは、すべて相棒のような愛着がある。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、の諺通り、花のような自然物は、毎年季節に合った花が咲くが、人は変わっていく、歳を取っていくのだ。小さな庭に、梅の花が真っ盛りで、ピンクの花ビラが、しっかりと冬の寒さにも強い風にも、凛と向かって咲いている。武士が好む花なのか、散り際の潔い桜の方が好みなのか、分からないが、梅と桜は、冬から春にかけて、人に情感をもたらす花である。梅は受験シーズンを、桜は入学式を連想させるが、学生たちは、悲喜こもごもであるが、人生の浮き沈みを味わう最初であろう。それを見て、大人や老人は、自分たちにも、そんな時代があったのか、と懐かしむこともある。歳を取るごとに、そんな感動や、夢中になることが、徐々に少なくなって、同じことの繰り返しの日々が続くようだ。ただ、自分は、有難いことに、いろいろな変化が起きてきて、退屈する暇はない。世の中の出来事には、すべて締め切りがある、これが有難い、と思うのは、自分を引っ張ってくれるからで、そうでなければ、何もしないだろう、そして、年年歳歳同じことの繰り返しになるのだが、悲しいかな、同じに見えて、実は確実に衰えていくのだ。今日は、予定通り、午前中に、仕事をし、原稿を送り、調べ物をし、午後は、久し振りに、ジョギングをした。そして、驚いた。忙しかったせいか、2週間位、運動をまったくしていなかったし、土日は、新潟の雪深い温泉地に行って、観光旅行をした。その余韻が老体に疲れとなって溜まっているのか、走っていて、足が重い、こんなはずではないのに、と思いながら、家路を急いだ。そして、お風呂に入ったら、眠気が襲ってきて、うとうとと、したようだ。うーん、今でも眠い、やはり疲れか、久し振りのジョギングは、かなりの体力を消耗したのか、それでも、走るだけで、気分が晴れ晴れして、まだまだ大丈夫という気がする。新聞に、湯豆腐のコトコト揺らぐ昼の膳(鈴木よし子)の句があった。特に文脈はないが、コトコト揺らぐが、うとうとする居眠りを連想させたのか、お昼時の、どこかノンビリした気分が、心地よい。若い頃と違って、急ぐとか、焦るとか、締め切りに追われるとか、叱咤激励するとか、などは、もう卒業だ、ゆっくり、余裕を持って、事をなす、これは素晴らしい。そんな仕事のやり方を続けていきたい。やることがある、それを身の丈に合ったやり方で、とは、なんと、心地よい言葉だろう。湯豆腐がコトコト揺らぐように、急がず焦らず、仕事をこなす、もうこれに決めた。ただ、思い通りにならないのが世の常だが、それでもいい、心の中は、誰にも邪魔されないから、と独り言を言う。