安堵感

今週は忙しい、来週も忙しい、なぜか、イベントや仕事などで、手帳が埋まっている。今日は、先ほど、オンライン会議が終わったが、別に難しい内容ではなく、これで、今日、ブログを書く時間ができて、ほっとしている。昨日は、夜遅く帰宅した、対面での会議が都内であって、帰宅時刻が11時近くだったので、お風呂も入らず、ウイスキーを飲んで寝たので、今朝は寝不足だった。ここ数日、朝の冷え込みが厳しいので、朝起きて、エアコンをつけても、しばらくは寒い。我が家は、エアコンの他に、石油ストーブがあるので、その傍に行って、火鉢に手をかざすように、石油ストーブの前に行って暖まっていると、老人そのものになる。確かに老人だが、どうも気分がそれについていかないようで、昨夜のように、遅く帰宅すると、若い頃のような、高揚した気分になる。忙しかった1日を、飲みながら、振り返ると、いろいろなシーンが脳に浮かんでくる。一昨日は、大一番だった、午前中は、市内の先生方に配信するビデオの収録を教育センターで行い、午後は、市内の学校の研究発表会に行って、講演をして、帰宅して、午後6時からオンラインでのセミナーがあって、ホスト役を務めた。昨日は、朝から夕方まで、気を遣うオンラインでの審査があって、終わってすぐに、都内の会議に出かけ、夜遅く戻ってきたから、現役の頃の仕事ぶりと同じだった。そんな時、人は、頑張った自分を振り返って、その余韻を楽しむのだろう、ウイスキーの水割りかオンザロックが、ほろ酔い気分にさせて、どこか安堵感をもたらしてくれる。それは、どこか嬉しいのだ、自分はまだ大丈夫なのか、外は極寒の気温であっても、胸の内は、温かさに包まれて、自分でも、少しは役立ったと、嬉しさで満たされる。今日は、このブログを書いたら、お風呂に入って、夕餉に向かう、今夜も外は寒く、小雪が舞うかもしれないが、部屋は暖かく、その後、録画しておいた朝ドラをまとめて見るが、これが金曜日の習慣で、家内も楽しみにしている。こんな小さなことでも、子供のように、はしゃぐ気持ちになる。事の大小に関わらず、楽しみにしていること、大切にしていること、があれば、楽しく生きていける。安堵して深酔う父を忘れない農継ぐと我が告げたその夜(鈴木興山)の句を、新聞から引く。父親は、心から安堵したのだろう、息子が自分の後を継いでくれた、自分が大切に守ってきた農業が、また続いていく、継いでくれとは言えないが、それを察してくれた、その嬉しさの余韻を味わいたくて、少し飲み過ぎたのか、朴訥で優しい父親の姿が目に浮かぶ。文脈は少し逸れるが、気持ちはよく分かる、外は寒くても、暖かい部屋に、親子は、温かい気持ちで一杯だったろう。そうか、安堵するとは、こういうことか、自分も、束の間の安堵感を味わった。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。