若い頃のように

今は、火曜日の夕方、よりも、夜に近い。今日は、忙しかった、昨日も、いや今週は、ずっと忙しい。この歳になって、と思うが、何故だろうか、いろいろあって、いろんなオファーが来て、いろいろな役割が来て、という、誠に有難いことだが、少し不安になる。明日は、明後日は、大丈夫だろうか、と思って、なんとか時間をやりくりしている。審査系の仕事は、最重要で、決してミスはできないし、主催が国の省庁であれば、どこか威信を背負っているので、公平に、公正に、と思うと、手が抜けられない。昨日は、エンジン全開で、脳をフル回転しないと、追い付いていかない、と言っても、詳細を書かないと、たぶん理解できないだろうが、お許しいただきたい。今日も、先ほど、委員会から帰ってきて、先ほどまで、明日の準備をした。本音は、少しでもいいので、ジョギングをしたかったが、とても無理なので、書斎でパソコンに向かったが、資料を出すと、あれこれと考えが交錯して、時間ばかり経つが、気に入った出来ばえではない。もう時間切れと思い、ブログ書きを明日に伸ばそうか、という声、たぶん、それは悪魔の囁きなのだが、この甘言に引っかかると、すべての歯車が狂ってしまうので、手帳の時間割にしたがって、行動するしかない。明日は大一番で、夜まで詰まっているので、ブログを書く余裕はない。昨日を振り返ると、忙しかった、そして、オンラインでワイワイ議論して、まるで子供のように、若い頃のように、参加者全員が、どこかはしゃいで、画面の向こうの皆の顔が、輝いて見えた。たぶん、自分もそう見えただろう。この年齢になると、役割が、コーディネータとか司会者なので、全体を仕切らないといけないが、それがうまくいくこと、それは、自分ではないのだ、参加者の嬉しそうな顔を見たいのだ、場の盛り上がりと言ってもよいが、それが証拠なのだ、自分への通信簿なのだ。先ほどの対面での委員会も、同じような光景が見えて、今日の会議に参加して良かった、という思いが、全員に感じられた時、自分の役を果たしたことになる。そんな状況がずっと続いていて、華やいだ気分になっている。しかし、この世の中は、そんなことは、いつまでも続かない、たぶん、どこかで挫折したり、落ちこんだり、健康を害したりするだろう、それでもいいのだ、現在の状況の中で、全力で取り組むしか手はない。すると、不思議に、タイミングに恵まれて、物事はうまくいく、詰まらぬ妥協や遠慮はいらない、ただ真っすぐに、正直に、純粋に取り組むだけなのだ。若い頃とは、そんな生き方をする時かもしれない。新聞に、姉さんがジェームス・ディーンをまだ語る八十歳の目を輝かせ(四方護)の句があった。あの頃に戻ったような、青春を懐かしんだのだろう、それもいいのだ、その時代の喜びが戻ってくれば、今を楽しく生きられる、青春は、いつでも、手に入れられる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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