今は、令和5年の正月元旦、朝6時半過ぎである。実は、昨日大晦日は土曜日だったので、夕方ブログを書くつもりだったが、すっかり忘れてしまった。午前中は、いつもと同じで、審査系の仕事をして、午後はジョギングもしたが、少し早めの午後3時過ぎに息子家族4名が、やってきた。仕事のこと、近況のこと、孫のこと、健康のこと、話すことは、どこの家族でも同じように、山積している。1階和室の和風テーブルに背もたれ座椅子で、お茶を飲みながら、というスタイルは、大人にとって、すぐに時間が経ってしまう。小学生の孫たちは、流行のテレビゲームで夢中になっているので、大人の時間なのだが、その時間が過ぎると、少し早めのお風呂、少し早めの夕食、そしてテレビ番組、という恒例のパターンになる。大晦日は特別の日なので、時間割が違うことは、当たり前だが、すっかりブログ書きを忘れてしまった。誰もが、元気で、健康なことが、何よりのお土産で、その言葉を聞きたくて、その様子を見たくて、五感のすべてが、全開している。嬉しい話であれば、どんな小さなことでも、それが、サッカーでシュートしたこと、運動会で放送委員になってアナウンスしたこと、であっても、また、仕事で役職に就いたこと、などであれば、なおさら、心地よい響きとなって、幸せな気持ちになる。夕食は、鍋料理がメインで、お刺身、野菜など、お酒は、ワイン、ビール、ウイスキーと、好みに応じて飲み、食後は、お菓子を食べながらのテレビになるが、数年ぶりだろうか、紅白歌合戦を視聴した。若い人の歌は、分からない、興味も湧かないが、小学生の孫、女の子は、歌も歌い、踊りもする、のは、この年齢では、すぐに吸収するからだろう。老夫婦は、もう9時半までが限界で、それ以上のテレビ視聴は、耳に悪いと思って、2階の寝室に行った。大晦日は、どこか昔に戻るのか、郷愁を誘うのか、自分の子や若い孫の姿に、ほっと安堵感を覚えるのか、自分を振り返って、まだまだ大丈夫と思うのか、昔の自分に出会うような気持がする。新聞に、県境の峠下がれば商店にふるさと訛り聞きてうれしき(大津雄志郎)の句があった。ふるさと訛りを聞いて、話す人に、身内のような親近感を覚えたのだろう、どこか帰省した息子家族に通じる気持ちのような気がする。それを見て、まだまだ頑張らなくては、と思うのは、老人の強がりだろうか。1週間前の12月23日に、新刊書を出版した、STEAM教育と俯瞰力(ジャムハウス出版)だが、どこか、大丈夫、まだまだこれからだ、と、新年にふさわしい気持ちになった。今年も、よろしく。