今日は土曜日、ブログを書く日だ、と勝手に自分で決めているが、特別な内容はない。今週を振り返ってみると、いろいろあった。ブログで書けることも、書けないことも、世の常だから、まして凡人で市井の人ならば、都合の良いことも悪いことも起きるだろう。それを受け止めて、良いことなら愉快になり、悪いことなら悔しがったり不平を言ったりするが、相手によっては、それを顔に出せないこともあるだろう。大人であれば、なおさらで、顔で笑って心で泣いて、などの古い言葉を持ち出すまでもないが、そうして、年月が過ぎていくのか、と思うと、師走という月は、人を感傷的にさせるかもしれない。喪中の葉書が、頻繁に届くが、自分は昨年の年賀状をもって、打ち止めにした、と、年賀状で知らせたので、今年、ではなく、来年のお正月には、例外を除いて、届かないだろう。今週だけでもいろいろあった、まして今年では、さらにいろいろあった、ただ、最後良ければすべて良し、の言葉というか、ことわざなのか、格言なのか分からないが、今がほっとするなら、すべて良かった、と言える。日本サッカーチームがスペインを逆転した試合などは、最後で勝敗が決まるのだから、最後がすべてなのだ、ということは、今がすべてだ、ということになる。これまでの出来事は、すべて過去だから、今が最後の瞬間でなので、今が良ければすべて良い、ことになるだろう。今の自分は、まあ、いい方だろう、スポーツジムに行って汗をかき、帰宅して、書斎でほっとして、ブログを筆の進むままに、キーボードに向かう指先の気ままな動きと共に、時間を過ごしている。過ぎ去ったことは、いろいろあるだろう、それはもういい、意味がないから、これから先が楽しみで、何をしようかと考えることに、意味がある。自分は、ブログでは書けないが、小さな夢もある、やってみたいことが、ある、否、かなりある。少しずつ、資料を探したり、文献を読んだり、ちょうど山に登るように、一歩一歩進んでいる状態である。大それたことではない、別に隠すことでもないので構わないが、次の出版を計画し、進んでいる。ずっと好きなことをやっていたいが、世の中は、そうもいかない、出版した時は、もうこれ以上の作品はない、と思うくらい、有頂天になる。しかし、ここからが問題なのだ、売れるかどうか、誰でも分からない、自分としては、作品を作りたいだけで、売れるかどうかはまったく関心がないが、出版社とすれば、ボランティア活動をしているわけではないので、ビジネスになるかどうかが、最大の関心事である。だから、売れるような作品を作らなければ、申し訳ない気持ちで一杯になる。ただ、これは難しい。そして、これまでに出した作品は、今日では、1年前では、もう誰も振り向きもしない、ただの残骸になることが多い。あれほど、心血を注いだのに、と思っても、それが、現実であり、今なのである。新聞に、保護者らに寄付を募りて設置せしすべり台虚し廃校の庭(渡辺照夫)の句があったが、分かる、この情景、と言いたくなった。とすれば、虚しさの積み重ねが過去の姿なのか、なんと寂しいと思うが、しかし、これから、ひょっとしたら、今回の出版は評価してくれるかもしれない、という希望があるから、努力するのだろう。まあまあ、それでもいいだろう、努力できることがあるだけ、幸せだから、と書けば、どこか老人の独り言に似てきた。