今日は火曜日、週2回のブログを書く日である。外は、もう漆喰のような暗闇になっているが、こんなにも日の暮れるのが早いのか、と平凡ながら、思う。何事もなく、穏やかに、1日が過ぎていく。午前中にオンラインが1つ、午後にもオンラインが1つあり、その後、スポーツジムに出かけて、今帰宅したところで、この後、お風呂に入って、夕食をいただく、それは小さな幸せと言っても良いだろう。歳を取ると共に、世の中で言う所の願望、欲は少しづつ、薄くなっていくようだ。NHKの大河ドラマを観ると、権謀術数の明け暮れで、よくこんなに、戦いばかりで、嫌にならないのか、と、子供か幼児のような疑問を持つ。何のために生きているのか、人を騙し、人を憎み、人を陥れて、何が面白いのか、そんなに権力が欲しいのか、と、凡人の身では、理解できない世界である。現代でも、政治は同じかもしれず、ロシアのウクライナ侵攻などは、もはや狂気としかいいようがなく、相次ぐ閣僚の更迭は、世間とまったくずれている、と思うのは、庶民の感覚である。自分は、今日のオンライン会議の間に、やっておきたい仕事があって、仕事と言うより、創作とか開発と呼んだ方が、正確だが、その仕事をしていると、時間を忘れ、スポーツジムで泳いでいる間も、脳が考えている状態になっていて、ふと思いついたりする。もはや、それは、趣味の世界と同じでなので、勤勉とか研究熱心とかの形容は当たらず、ただ好きなことをやっているだけ、なのである。その意味では、有難い職業を選んでいる。そんなことをしていても、誰からも文句を言われず、良い作品や原稿なら、褒められるのだから、世の中に、ただ感謝するしかない、世間では、コロナ禍で、業績が悪化した、廃業した、店を閉じた、マイホームからアパートに引っ越した、家庭内が揉めている、など、苦しい生活をする人も多い中で、本当に、申し訳ないように思う。ただ、人様に迷惑をかけてはいないので、まあ、胸を張るほどではないが、真正面を向いて、世間を渡っていいだろう。今、机の隣にあるCDプレイヤーから音楽が流れている、今の歌はさっぱり分からないので、昔の歌なので、心が癒される。紅白歌合戦も、もはや知っている歌が少なく、退屈なので、1時間も見ておれない、本当に、昭和は遠くなりにけり、が実感として分かる。歳を取ることも、いいではないか、都心に出ることも少なく、もっぱら、所沢市内で仕事も生活もして、何も不満もなく、何も怒ることもなく、庭の自然を愛で、朝にやってくる雀の餌やりを、日課としている。こんな生活も自分には、ピッタリで、このような中で往生したい、と思う。新聞に、秋晴れやなにもなけれどなべてよき(小林千秋)の句があった。同じ心境である。何事もなく過ぎていく、銀杏の黄色い葉っぱも、自宅のはなみづきの真っ赤な葉っぱも、一面に落ちて、文字通り自然に生きている。自然のなせるまま、は、すべてが良いのか、人間のなせること、それは戦争であったり、人を陥れたり、コロナ禍で思いがけない生活でもがいていたり、を考えれば、すべて良い、と言ってもよいのかもしれない。