百日紅

今は、土曜日の夕方、窓から見える空は、もう真っ暗で、日が落ちるのが早くなった。秋がやってきたのだから、当然なのだが、自然の営みの正確さには、恐れ入る。今日は土曜日だが、都心に用事があって、午前から出かけて、夕方5時半近くに戻ってきたのだから、ほぼ1日仕事になる。打ち合わせは、10名以上が参加し、内容の議論が濃いので、時間がかかるのは承知しているが、3時間近くだが、不思議に飽きないのだ。中身に入るとか、浸るとか、自分事として、内容を吟味していると、時間の感覚は違ってくるようで、終わり頃になっても、つい、いろいろなアイデアが浮かんできて、議論が進行するので、時間が足らなくなる。時を忘れるとか、夢中になるとは、たぶん、このような状態を言うのだろう。そう言えば、昨日も同じだった。今日の秋晴れとは違って、昨日の天気は、12月の冬模様だと言うから、その寒さは尋常ではないが、実は、昨日は1日中、書斎で過ごした。昨日も、都心に行く用事があったのだが、どうしても間に合わない別の仕事があって、やむなく断って、書斎に籠った。朝6時から取り掛かり、夕方6時に終わったから、朝と昼の食事時間を除けば、10時間仕事をしたことになる。だが、頭を使い、ああでもない、こうでもない、と考えながら、机に向かっているので、時を忘れるのだ。そうすると、何か、その仕事を離れるのが、惜しいような気がして、まだ続けたくなる、脳のどこかに、こびりついているのだろう。だから、今朝は、その続きをしていたのだが、午前11時前に自宅を出た。この年齢になっても、用事があること、それは、世の中から必要とされていることだから、有難いことは言うまでもない。このような仕事、オファーがあると、本当に感謝するし、精一杯の努力をして、それに答えようとするが、それは、たぶん、ボケ防止になるだろう。今は、身体を動かし、脳を使い、心を開放して、自分の最後を全うしたい、きれいに生きて、笑顔で周囲の人と接したい、と願っている。まあ、それに近い状況にあるようで、心から自分の境遇に感謝している。が、いつ、どんなことが起きるか、誰にも分からない。いずれ、身体も、脳も衰えるだろう、それまで、精一杯、花を咲かせてみたい。百日紅さすがに盛り過ぎにけり(谷川治)の句が、新聞にあった。自宅の庭に咲く百日紅も、残り少ない花びらが見える。最後まで、きれいでいたいのか、柔らかいピンクの花びらが、舞い降りてくる、自分もそんな生涯を送りたい。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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