今は、火曜日の夕方。天気予報だと、曇りだったが、午後はすっかり晴れて、空一面が青色で染められていて、ところどころに白い雲が浮かんでいる。もう夏のギラギラした青空ではなく、優しい色で、近所の家屋を包み込んでいる。先ほど、スポーツジムから帰ってきたばかりで、土曜日に一泊していった孫が冷蔵庫に残していったアイスを食べて、2階の書斎に上がってきたばかりである。帰宅途中で、旧市役所の広場で、いくつかのテントがあって、アイスやお菓子や団子や、子ども相手の出店が出ていて、夏祭りのような、そうでないような、このブログでも紹介した、近所と同じ夏祭りもどきと、同じスタイルだった。山車もないし、お囃子もなく、ただテントがあって、出店をしているのだが、何の意味があるのか、と不思議だった。やるなら、レコード音楽でもいいから、景気よくしないと、侘しいだけだ。ただ、面白いのは、子供たちだ。浴衣を着た女の子らが、親も一緒に、広場で楽しんでいる。そうか、子供にとっては、お囃子がなくても、夏祭りなのか、その場の状況にすぐに順応できるのか、そして、精一杯、夏を楽しむのだろうか、大人は、子供の生き方を見習ったほうがよいかもしれない。大人は、いろいろな理屈をつけて、決して楽しんではいないのだ、まあ、日頃の疲れもあるだろうから、仕方がないとしても、子供は、すべてを楽しみ、大人は、ほとんどの事柄に、眉間に皺を寄せて何やら浮かぬ顔をしている、とすれば、生涯を子どものように過ごしたい、と誰でも思うだろう。帰宅途中では、風が爽やかで、雲もさらりとしてゆったりとしている、蝉は行く夏を惜しむかのように、精一杯の声で、別れを惜しんでいるようで、甲子園の高校野球も終わり、少しずつ秋に向かっている。こうして、歳を取っていき、生涯を終えていくのだろうか、と思うと、どこか、爽やかな風も、蝉の鳴き声も、子供の浴衣姿も、哀愁を感じる。それは、昔と変わらぬ風景だからかもしれない。文脈はないが、甘酒や峠の茶屋は雨の中(安部泰夫)の句が、新聞にあった。どこかで見たような光景で、昔から、峠で甘酒を売っているのだろう、変わらぬことは、心を癒すのか、子供の浴衣姿も、夏祭りも、蝉の鳴き声も、ずっと昔から変わらない、だから、通り過ぎていった過去と、永らえてきた我が身をふと振り返るが、今は、そういう季節の変わり目の時期なのだろう。