今は、土曜日の夕方、外は曇り空で、猛暑の夏から、梅雨の季節が戻ってきたような天気である。今年の梅雨明けは早かったので、今頃梅雨戻りになって、野菜などに雨の恵みをもたらしているのかもしれない。画面に向かっていると、けだるさと物憂さが混じって、眠気が襲ってくる。無理もない、この頃、夜中に目が覚めて、トイレに行くが、その後、なかなか寝付かれない日が続いているからだろう。昼寝をすると、さらに夜中に起きるようになるので、我慢しているが、土曜の夕方、スポーツジムから帰って、プールで泳いだ快い疲れと、寝不足が重なって、つい眠くなる。悩み事があるからではない、要するに、世間に比べて寝るのが早すぎるからだが、恥ずかしくて、就寝時刻を書く訳にはいかない。今朝の新聞を見たら、山本厚太郎さんの死亡記事が載っていた。芸名は、山本コウタローで、走れコウタローや岬めぐりなどを大ヒットさせた、歌手であり音楽プロデューサであり、そして白鴎大学名誉教授でもあった。自分も白鴎大学で教鞭を取っていたので、山本コータロー先生と一緒、というより、研究室が隣だった。その隣は、コロナ感染症で一世を風靡した岡田晴恵先生だったから、個性豊かな教授が多かったのだろう。自分は無名だが、長く教育学部長を務めたので、教育学部の先生方とは懇意だった。山本先生とは、大学を定年になっても、お互いに役員をしていたので、年に数回の役員会議では一緒で、何故か座席も隣だったので、なんとなく世間話をしたが、彼は、少し耳が遠かったので、長い話はやりにくかった。白鴎大学の野球部の顧問も務めていた、と思うが、73歳とは早すぎる享年である。ここ数年、身近な人が鬼籍に入った、という知らせが多くなった。そろそろ、自分の番か、と思わぬでもないが、スポーツジムから帰ってきたばかりの身としては、絵空事のようにしか聞こえない。いつだったか、隣りの山本研究室から、ギターの音色が聞こえてきたことがあった。それは、まぎれもない、フォークソングだった。フォークか、と思ったら、あれは、若い頃の歌だ、フォークは、ギターとか若さとか学生とか反戦とか学生運動とか、なにか青春と呼ぶに相応しい音楽だ、と気が付いた。数日前の月曜日の新聞に、こんな句があった。なに話すわけでもないが喫茶店向かい合わせの幸あり昭和(久保田洋二)、とは、文句なしの青春の一コマで、誰でも似たような記憶があるだろう。昭和の時代の喫茶店は、少しばかりのほろ苦さと胸の高鳴りを想起させる、郷愁がある。山本先生は、その時代を突き切ったのだろう、人生を閉じるには早いかもしれないが、悔いはなかったのではないだろうか。合掌。