猛暑の日

今は日曜日の夕方に差しかかる頃、パソコンに向かっている。昨日の夕方は時間が取れず、今ブログを書いているが、それで良い。計画通りやろうとすれば無理になり、長続きしないのは、世の常である。昨日は長丁場のオンライン審査があって、今日は人に会う用事が、昼間にあって、所沢駅に出かけ、その帰りにスポーツジムに寄って、プールで泳いできた。昨日も今日も、特に今朝は、雲一つない晴天、しかも真夏の日差しで、朝から気温がぐんぐん上がって、ニュースでは35度近いというから、尋常ではない。自宅から所沢駅まで徒歩で25分位、途中にあるスポーツジムまで15分位なので、今日は、約1時間近く歩いたことになる。この暑さだ、途中の100均で、日除け用兼風送り用に扇子を買って、多少役立ったが、駅の構内のショッピングモールに入ると、涼しいエアコンで、生き返ったような気持がした。なるほど、この快適さに慣れると、いくら節電をと、テレビが呼びかけても、家庭で節電をする気にならない。プールで泳いで水しぶきを上げて、その後に屋外のジャグジーに身を任せ、街の風景を眺めると、歌の文句のように、浮世の憂さはどこへやら、と何やら小原庄助さんのような気持になって、まさか鼻歌とは言わないまでも、能天気な人間になる。たまにはいいではないか、今日は日曜日で、午前中は原稿も書いて仕事もしたのだから、と多少の弁解もしながら、街の風景を眺めていた。さすがに、暑い、帰りに、久し振りにオロナミンドリンクを買って飲み、帰宅して、冷水をがぶがぶ飲んだ。今年は、猛暑らしい、いつだったか、9月に入っても残暑が去らず、さすがに参ったことがあった。今年も似た年になるのだろうか、窓から入り込む西日が優しい、と書きにくく、まだ6月だったか、と卓上カレンダーを眺め、この先どうなるのか、梅雨はどうなるのか、と多少雨降りが恋しくなった。人間とは、我儘で、暑いだの、雨が欲しいだの、節電は嫌だの、まるで親の言うことを聞かない幼児のようだ。仕方がない、あまり我慢のできない駄々っ子が、人間本来の姿かもしれないと、自らを慰める。新聞に、ただ青い からっぽの空夏はじめ(藤岡賢)の句が載っていた。今は、夏はじめの季節ではあるが、夏真っ盛り、しかも猛暑の真夏で、空っぽではあるが、遠慮のない太陽が照り付ける、のだが、まあいいか、部屋に入ればクーラは効いている、冷たい水もドリンクも飲める、夕方にはキンキンに冷えたビールも飲める、日曜日だから大河ドラマも楽しめる、と思えば、なんと人間は贅沢にできているのだろうか、と少しだけ自省した。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。