学校訪問

今は、火曜日昼間の時刻で、ブログを書いているが、夕方に時間が取れず、明日も夕方は無理なので、ちょうど時間が空いている今を使うと、手帳に書いてある。手帳で行動をコントロールしているので、その予定に従うのだが、諸事情で変わってくるから、出来るところから、気付いたところから、臨機応変に処理している。今日も、庭の草取りを早朝にしたが、まだ気温は上がらず、爽快な気分なので、朝食が美味しかった。いつもは、朝食後に気が向いたら草取りをするのだが、朝食前のほうが快適であることは言うまでもない。午前に、ある小学校の授業参観をした、というより、お願いして、させてもらった。教育の仕事をして、たまには講演をしたり、出版したり、会議で発言したりするのだが、何より苦手なことは、小学校の授業、生活風景、子供たちの姿などが、まだイメージできないと言うことである。誰でも、経験したことがないことは、思い切って発言できない、実は、自分はこの分野は素人なのですが、などと言い訳をしなければならない。そこで、昨年に、市内の研究指定校になった学校に、授業参観できないかという願望を持っていて、今年も自分は、研究指定校の研究推進の役目を、教育委員会からいただいているので、思い切って、ボランティアで、昨年のGIGA推進の学校の授業参観ができないか、と教育センターの所長さんにお願いしたら、それは何でもないことと、すぐに快諾していただき、小学校2校、中学校1校を、毎月1回ずつ、訪問して授業参観できることになった。その第1回目が、今朝だったのである。それでも、何か恐る恐るという心境だったが、子供たちは屈託もなく、遠慮もなく、にこにこして、部外者を、教室に迎え入れてくれた。そして、先生の話に惹かれ、まるで自分が小学3年生になったように、授業の中に入っていった。なんと表現したらいいだろうか、長年観たいと思っていた劇場に入って、その華麗な演劇を見て、鑑賞している気持だった。もちろん、これまでに多くの授業を参観してきたが、それはお披露目用の、どこか外向きの光景で、素顔を見せない演劇だったような気がする。今日は、そこが違った。自分も、クラスの一員、仲間、孫のような子供たち、身内のような気持で、授業参観したのだが、それは初めての感覚だった。学校とは、宝のような場所であり、砂漠の中のオアシスであり、そこに行けば、子供たちに癒される、極上のリゾート地でもある。新聞にこんな句があった。三輪車まだ漕げず地を蹴飛ばして進む幼よきょうも逢いたし(近藤きみ子)、幼子を愛おしみ愛情を抱く気持ちがよく分かる。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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