温泉とプール

今は、6月4日土曜の夕方、夏至に近くなったせいか、昼間の時間が長く、西窓に面してパソコンに向かっていると、西日が眩しい。いつものブログに書くように、スポーツジムに行って汗をかき、汗を流して、さっぱりした気持ちで、キーボードを叩いている。大した理由ではないが、明日は日曜日で、どこか解放感があるから、ブログも明るい話題になるだろう、という微かなフォロワーへの気配りである。と言っても、今日は、少し違う。昨日の正午に自宅を出て、伊香保温泉に一泊して、今日のお昼に帰宅した。もちろん、かなり前から宿を予約しているが、天気予報が見事に外れた、老夫婦にとって好都合の天気になるように、天は采配を振るった。昨日の午前は、所沢は晴天で、午後は雨だったらしい、伊香保は午前は雨で、午後は晴、今日は、どちらも終日晴天だったから、快適なドライブ日和で、水沢観音などの休憩地点では、文字通り観光気分になった。宿では、特に露天風呂などは、夏のような陽光に光り輝く木々や山の緑が、目に優しく、じっと身体を湯に沈めているだけで、自然に溶け込むような気持になった。そうか、日本人は、こうして自然に寄り添い、自然と調和するから、俳句や短歌を味わうことができるのか、と思ったりする。現実に戻ると、今の時期は、自治体から観光地へのサービス金が出ているようで、ずいぶん割安になったから、これも庶民にとっては嬉しい。という訳で、久し振りに、温泉に料理に自然に癒されて、帰宅した。どこの宿でも、Wi-Fiは整備されているから、メールなどの連絡や仕事に支障はない。メールでも、温泉宿に居ると書かない限り、ばれないが、ワーケーションの今日、別に隠すこともなく、金曜日であったが、老いも若きもかなりの宿泊客がいた。帰宅して、片付け、メールなどのチェック、そして、スポーツジムに行って、下手なゴルフクラブを振って、噴き出した汗を、プールで泳いで、きれいに流す。もちろん、シャワーで洗い流した後に、プールに入るのだが、ふと思う。今日は、朝は大浴場と露天風呂のお湯に浸かり、昼間はプールの水に浸かって、1日中、水と親しんだが、温泉は癒しで、プールは泳ぎだから、まるっきり正反対である。癒しは、自然に溶け込む、泳ぎは、うまくなろうとか早く泳ごうとか、人の意志が働く、癒しは静で、泳ぎは動だが、何故だろう、と思った。温泉のお湯はゆったりとして波が立たないが、プールは水しぶきが起きる、その違いではないか、と、他人が聞けば、一笑に付されるようなことを考えた。新聞に、こんな句があった。噴水の天辺(てっぺん)水が水洗う(菅沼葉二)の句を読んで、さすがに掲載される句だと感心した。言うまでもなく、水が水を洗うように、天辺で競い合っている。この光景を見ると、夏を思い出す、眩しいような太陽の季節である。スポーツジムのプールでは、老いも若きも、人と水が競い合い、水が飛び、人が動く、それは躍動する夏の季節を思い出させる。温泉は、むしろ秋が似合う。歳を取ってくると、温泉の癒しに傾き始めるが、それも良し、しかしそれだけでは、生きている甲斐がない。プールで泳ぐ水しぶきも、必要だろう。

投稿者: 赤堀侃司

赤堀侃司(あかほりかんじ)現在、(一社)ICT CONNECT 21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。

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